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まずは、新年明けましておめでとうございます(礼儀が正しいね俺)
今年もアクセス稼ぎよろぴく豚さん☆

今日の話題は、母親が12月のいつからか、「がまごおり若者サポートステーション」という組織の所長に家庭訪問をさせている。
愛知県蒲郡市とは、我が豊橋市が属する東三河の西端の都市であるが、豊橋から見て隣の豊川の更に隣に位置している。
引きこもりの私は、そこの人との接触を拒んでいるため、今まで2回中2回とも面談を回避(忌避)しているのだが、いずれは会わそうとしている。

各々が持つ魅力の醸成に関してはニート期こそが好機にも関わらず、この期に及んで画一的な教育(進学や職業訓練)を強いらせるその意味を問う。
子が自由に進めたい道を塞ぎ、無個性な教育を徹底する高等学校・大学校へ進学させようとしたり、若しくは職業訓練のための施設に入れようとするなど言語道断。
私は音楽を嗜み音楽家の第一人者となる素質を持った逸材なのに、みんなと同じような社会生活を送らせること笑止千万..・・.。
ましてや私の生活体系から容易に汲み取れることは体力不足ゆえに、通勤通学には支障を来たすであろうことから、通常の就職の現実化は荒唐無稽な構想(妄想)..・・.。


どうせ就学・就職はできない、できても長続きしない。
今まで何度も転校・不登校を繰り返した人間に今更常人並みの生活を期待できる?
とてもナンセンスな話に思えないだろうか。

ならば最後までは本人が志した道を聞き入れて、それを支える、こちらの方がはるかに賢明であるが、親は親自身が道筋を勝手に決めているし、むしろそれは幼い頃からやれば理に適うけれど、今更親が決めた道筋に子が従えるか、そして従ってもうまくはいかん。
そういう教育を幼い時にすべきなのに、遅い。親は教育面で無能だ。
何にしても中途半端で、これほど滑稽なこともなかろう。
ここまで来たら死ぬまで子供の好きにやらせるか、仮に"こんな子"に育てて後悔するくらいだったら幼い頃からしっかり育てるかしろ。
今更直そうとしても無意味だ。

ということで、ニートの親は子を不遇な目に遭わせた代償に、こうさせた罰に子供の欲望赴くままに生きさせて、もちろん野晒しにせず、責任もってその生活を支援すべき。
こんな子に就学就労なんて期待するのに無理があるし、こうなる前に真面目に子育てすべきだったのにね、嫌いな言葉だけどこれが「自業自得」なんだよ。


音楽もできて髪も長い個性的な音楽家の私が求めるDAWソフトやVST購入に充てるのが子に対する賢い教育費用の充て方ね。
ただでさえ通学せずお金のかからない子なのに。

というかこの話題、過去にも幾度となく記事にしていたから、飽和状態かもね。。。


この話題の記事の要点
・就職なんて嫌だしできない、できても長く続かない
・ニートに育てた親が悪い、最初手を抜いたなら最後まで好きにやらせろ
・お金は学費だとかにあてずに、子がやりたいということにあてるべき

年がイっても好き勝手やらせる親もいるから、俺の親もそれを見習え。
凋落した子に今更カリキュラム組んで、その通りに従わせるなんて、甘い考えにもほどがあるし、従っても大半は上手くいかずに戻ってくるか自殺するんだから。
子が生まれた時・生まれる前から決めておかねば容易にはいかない。

さあ、例を挙げてみよう。
普通は家を建てるに設計図が必要→設計図通りに建てる。
我が両親のような者は設計図を作らずに勢いで家を建てた、出来損ないの家が竣工するも、出来損ないを建てた後から直す→手遅れですよと。。。
止まらない加齢に焦って、土壇場の高齢出産をしたことが仇となる(知的障害を持つ弟が好例・知的障害でも幸せに育てられる親とはだいぶ事情が異なる・経緯が酷いのだからその後も改善なく苦しんだままの両親)。


関連記事
・引きこもりの私は社会復帰して就職すべきなのか?
http://masashi.doorblog.jp/archives/34835912.html
・食えるならニート生活で、出会いがなくてもいいという考え方
http://masashi.doorblog.jp/archives/32771177.html



(´-_-)ここまで誰も見てないと思うけど新着動画↓
http://www.youtube.com/watch?v=DxJ9dyubD8c



追記: 2016年

母親の社会思想の具体的な端的名称は「日本の現代的共産主義の急進派」である。
日本人自体、日本の現代的共産主義に毒された者が9割がたを占めていよう。
社会の中で教育を受けるか労働して人間関係を持ち、少しでも芸術や宗教などに向くと変人(キモオタ・カルト)に思われるであろうし、そこまで嫌わずとも、働いて自分で金を稼いでいれば何をしてもよいと言い出す者(資本主義的だがこれも日本人の特徴)もおり、大概の者は陳腐な世俗で専ら会話の種としてみんなが同じものを好み、少しでも異質なものは排除するなど、真の「和」に背いている。

母の場合、普段は大人しく私を養うようでも、内心で常にニートや引きこもりを社会復帰させて社会人(マニュアル人間・一般人・凡人)にさせようと企て、その誤謬に自覚が無い。
別に、社会人にさせたければさせればよいのに、幼少から「飴と鞭」を誤り続けた
母は、その頑迷固陋の理念に対する教育の失敗を責められる度に、自分は正しく育てたつもりであるように強弁するが、やはり無自覚である。
私は、社会人サマになろうとならまいと構わないが、母親が社会人にさせたい主義の割に、そこら辺を不器用なまま、しかも絶えない夫婦喧嘩で「家の柱」は倒壊したわけで、全てが無計画か、計画があっても瓦解している。
最初から手を打たず、過ぎたことを無理やり戻そうとしたがる蒙昧の輩である。
人脈がごく狭い母の、最も身近で最も母を知悉して最も賢い私の言葉を聞き入れない以上、誰にも母を啓蒙ができないが、かといってその極悪の実存を断つためにと母を殺してはならない。