大地震 震災 部屋

部屋の状況を視覚的に明示する一般的手段としては写真である。
携帯カメラにて収めた様子は2011年3月11日から始まる。

これは上記の撮影日時から諸君の推測の通り、東日本大震災を告げた東北地方太平洋沖地震発生直後の自室である。
15時10分撮影だが、見ての通り教科書・ノート類はイスや机上や床などに散乱し、他には溜め込んだ硬貨も散らばった。


※この記事は学術的メモ帳8月13日投稿の転載・修正です
http://lesbophilia.blogspot.jp/2014/08/blog-post_13.html 

地震発生前はTOKYO MXの株価の番組を見ていた。
揺れてる最中は写真中の机(本来上の弟のもの)に隠れていた。
このとき、私の当時在学してた中学校教室はどう反応したのか。不登校・・・

過去記事で述べたように、これは当然埼玉県内の前の家の自室であり、実は私の本来の自室はこの部屋でなく、上述の「上の弟の部屋」である。
元々はこの隣室が私の部屋であったが、土地柄この家の以前は林と小さい家が建っており近くには現在も残る林もあるが、私たちの越す前から伐採と解体がはじまり、拓かれた土地は前の家建設用地とヤクザ企業の資材置場になった。
※ヤクザ企業資材置場の詳細は過去記事にある。

土地柄により、虫がわきまくりで、無論でかいゴキブリなども当たり前。
弟2人の施設送致から落ち着いた2007年8月、常識を超える大きい黒光りゴキがロフト付き部屋の壁の高さ2mほどで這っていた。
「下の弟の空き部屋」への移動を余儀なくされた。
その後、2008年夏にも、その部屋で茶の大ゴキがドアのあたりの床にいて今度は駆除してやろうと勇んだが、見失って「上の弟の空き部屋」への移動を余儀なくされた。
この成り行きの通り、私は家を離れるまでその部屋に住まっていた。
それからその部屋でゴキ沸くたび退治に成功していた。

今父親と帰還の弟はゴキブリ地獄に阿鼻叫喚しているのだろうか。
夏ほどゴキが沸きやすいし、毎夏私はゴキブリに警戒を張っていた。


以下から、愛知県豊橋市の家における部屋の話となる。


ゴミ屋敷 片付け

こちらは2011年10月11日13:59撮影のようだ。
本家ブログに載せたことがあるようだ。
ペットボトルや缶が部屋に80個くらい転がっていた当時、事情聴取にきた警察が片付けるよう諭してきたので、まあ強制ではないが袋にまとめておいた様子。
できれば片付ける前の惨状を見せたかったが、残念ながらそれは撮ってなかった。
片付ける前も写せ、過去の俺。ビフォーアフター的に変化を比較したかった。

右に布団が敷かれてることから見て取れるのは、当時は今のように押入れで寝ていなかったこと。
観察眼・洞察力が光る人?
私は2012年1月1日、横になってる最中に母親が「新年だから正月だから元日だから」と襖を唐突に開けてきて気を悪くしたため、押入れで寝ることを決心して以来押入れ睡眠が始まった。




上の動画は2013年7月の様子。
しゃべりながら部屋を紹介しているもの。




上の動画は2014年4月の様子。
部屋の大まかな図も自作したものを掲載しているが、これは本家ブログの記事でも載せているのでこちらを参照→http://masashi.doorblog.jp/archives/37944743.html





ついでに・・・・・・
パーソナルな部屋というのは、2006年~2011年まで住んでいた前の家以前=2006年以前では設けられてなかったため、この記事に書く情報はないだろう。
マンションやアパート住まいだったからね。



それと・・・
http://lesbophilia.blogspot.jp/http://www.youtube.com/user/SundarknessMusics/videosなどを多めに更新しているので要チェック。
これ以外にも各所で投稿を行ってるけどね。

思ったけど、絵の記事って不評かな?
やっぱり個人の満足に終始させて、他人に見せびらかすものではないんだよね。
アクセス数やコメント数など簡易な観点からして毎回微妙っぽいけども。
それなりに見る人がいるなら、と良心でやっていたのだが、読者にその気が一切ないなら俺はもう諦めようか。
絵の記事が最新の状態の時に高頻度でおかしな外部晒しが横行することが半年以上前から度々あったし、無関係だろうが不条理を引き起こす曰くつきの(ry

絵や音楽に英語の勉強の効率化としてもっと上の好環境が欲しいんだけどね。
それは少し前の記事で書いたことだし、まあここでやめよう。