暗澹

私が嘗て孤高の一匹狼たる所以が何たるかを綴る。
斯様に共謀する者達が犇く戦場に、誰人の支えさえもなく、家族さえこの苦境に私へ背いた(*1)過酷な中学時代で私がいかにして人間不信に陥りかけたか。
その暗澹たる全貌を明らかにし、以て、敢然と抗した勇姿を労わんとする。

私とて、孤立を求めたわけではない。
寧ろ、友達作りの為に努力したほどで、テレビ番組など話題のネタを他の追随を許さぬほど備えても、喋る機会がないに過ぎなかった。
馬鹿っぽいキャラクターを装うのは却って仇となった。
当記事に先駆けて投稿した動画→http://www.youtube.com/watch?v=8thC8d-1aY0

※一人称は文脈で俺と私を使い分けています※
※苦い思い出を探りながらこれを全て書く精神力を推し量ってください※



【小学生時代・・・最低限に軽く触れる】

問題の学校以前の遍歴はそれなりにあったが、不登校回数自体は暫定的にも4度に上っていた。
以前の学校で1年超の不登校を経て、小4の2学期の転校で、ぽっちゃり体型に陽気な性格ぶってみたら、転校生という身であった為に受け入れられがたかった上に、相手・他人の名前を呼ぶことさえ拒絶された私は、人の名前を呼ぶのが苦手になったり、誰かに近寄るのも躊躇うようになった。
まさに最初にして最大の躓きに遭った小4の私は、以前の学校転校時という前例があるように、ここでも友達は沢山できるものだと思っていた考えを責めた。



【陰口・面罵編】

・中1の3学期、下校の際に下駄箱、昇降口において他校上がりで他クラスの余り関わったことのない輩2名の内、褐色の肌で坊主頭の、優等生ぶっている奴が唐突に私に話しかけてきて、反応に困った私は無視に近い状態になってしまった結果、勝手に「ほら、挨拶してこない」と傍らの者に陰口を言った。「ほら」という一言は、「未然の打ち合わせ」があったことを仄めかす。なんと陰湿な。(2名いずれも一~数度別々に関わった経験があるが彼らから軽侮を受ける余地は無い。私からは2名それぞれに良さそうな印象を持ってさえいた)

・中1の1学期に私に逆ナン(*2)した上の学年の女の子と3学期に廊下ですれ違い、私と久々に会ったということで笑顔で挨拶してくれたが、そのまま微笑み続けて歩くと、同学年の群れているゴミ女子のうちの一人、これまた同クラスで余り関わったことのない肌が黒い天パの女(成績悪い)が「○○がニヤけてるよ、キモ」などと、すれ違いざまに罵ってきた。正に青天の霹靂であった。俺がお前に何をした!?それにお前なんか興味ねーわ。勘違いすんな!!(悦に入ったところで水を差された・・・)

・中1と中2の狭間で、同学年の比較的仲が良い男子生徒に「目が死んでるよ」と廊下で唐突に言われた。悪い気はしなかったが、お前らにそれほど病むようなことをされているし当然。

・体育の授業で、真面目にやっている俺に対し、余り関わったことのない他クラスの輩2名が、俺を薄ら笑いで見ながらやり方がおかしい、間違っているなどと陰口をしてきた。お前に言われる筋合いはねーわ。そんなことを言われたら俺は何も出来なくなるぞ。まあ気にするに足らんと割り切ればいいだけだが。それに、やり方がおかしいならあんたの思う正当な方法を示すのが道理だろう。第一に、授業中に雑談する輩が真面目に取り組む俺を貶せる身分じゃないだろう。



【授業・日常生活編】

・中2の体育の授業で、柔道があった。技や受身など、当然相手が必要になる場合も多いが、これは身長の順番で決めるのが至って公平且つ道理なのにもかかわらず、任意の相手を各自に決めさせる。俺は外れることが多いが、俺が取り残される前に見兼ねて相手をしてくれる人もいた。健全な授業を受けたいのに、こんなことで気を遣うか、遣われるかというのは辟易するので柔道は見学する選択が増える。そんな俺の気をよそに、同じく見学している奴ら(ただのサボリ)は、そいつら同士で談笑している。俺はその輪からさえも外れる。どっちをとっても疎外されてお終い。ちなみに、野球などでもキャッチボールなどで二人組を作らねばならなかったのが辛かった。
※柔道も野球も、各自が道着やグローブを持参する授業であったが、私の道着は小2・3期の合気道の道着、グローブはおもちゃみたいなもので、いずれもそんなに使い勝手の悪い道具を使っていたのは学年で私だけ。道具の問題に関して言えば、通学用自転車も、中2までは父親のお下がり90年代製、暗いピンク色であったから、人目を忍びたくもなるし、職質(盗難車だとみなされて)も3度あった。

・給食の時間は席順で決まっている班(5・6人)で食べることになっているが、私以外の全員はそれぞれ仲良くしゃべっているのに、私一人除け者にしている状態が中2の2学期は多すぎた。

・その他、班で何か作業をすることもあるのだが、私は共同での作業をする際、加入するのが苦手で仕方なくその場から逃げるが、後で咎められることさえなくなった。それほど、私が手助けしようがしまいがどっちでもいい上に、むしろ私がいない方が気が楽なのだろう。あるいは私がやつれていることから、私に何か注意をするのも躊躇われたのか?

・調理実習も班で行うものだが、中1以降のものは野菜を切る、調理する、配膳するなどの役目は確実に回してもらえないし、俺から頼むのも厚かましい気持ちがあって不可能。これは「俺なんか」の手に自分達の口に運ばれる食材を触れさせたくないという意図がある。ただ、食器洗いや片付けなどは率先して行う努力もした。調理の実習なのに、肝心の調理がさせてもらえないとか、至極愚鈍なイベントだな。雑用実習の間違いだろう。



【陰謀のラブレター事件】(*3)

2010年7月、その日の最後の授業が終わって、帰りの会の前に荷物をまとめるため、私が引き出しの中を整理した際、謎の封筒を探り出した。
丁寧にしたためられたそれは、封を開くまでもなくラブレターだろうと思った。
そして緊張しながら読み進めるが、女子生徒の肉筆で小奇麗に書いてあった上、内容としては「プールの授業で○○くんの肉体美に惚れました」などとある。
肉体美とは、2009年末から帰宅部とは思えない猛特訓の末に鍛え上げられた(*4)私の腹筋などか。
送り主は本名のイニシャルと思しき"T.T."とあった。
"T.T."の名に該当する者を記憶から探り、数名を見出す(その内の一人は私が好きな女子の一人だった)。
ラブレターに浮かれる私の一部始終を見守る者がいた、そんなことを知らず。

そして読み終えた頃に傍から、とある同級生男子2名が馴れ馴れしく話しかけてきて、迂闊にも見せびらかした私がここから悲劇が始まる。
噂はクラス中を駆け巡り、ついには他クラスの"N.K."が率いる不良グループに絡まれ(DQNとて一枚岩でなく、派閥が形成されている)、T.T.該当者の一人(私が好いている方)に直接絡んだりしていたが、それを目の当たりに私は狼狽するほかなかった。
嫌に詰問されたり、逃げることも能わず、時間もとらされ、果てには没収される始末でロクなことがなかったというのがこの一件の末路である。

この一件で垣間見えることは、T.T.への好意を見透かした者の可能性の示唆。
もしそうなら、誰かが女子生徒を使役して、T.T.名義のラブレターを書かせたか。
わざわざ直接的な名前を伏せたというのはこれが原因か、それとも本当に私への告白の意図のもとだと、ただ私に好意の顕示をしたかったが、明かすに躊躇いがあったか?
名を伏せて「好きです、惚れました」これだけじゃ目的不明な酔狂に過ぎない。
あるいはこうなる結果を想定して、もし本名を書けば自分も巻き添えになることから伏せたのかは知らん。
その上で、もしこの騒動が起きなければ、もう一度私にまたラブレターを宛てて、その時に本名か待ち合わせの場所や時間を書くという魂胆だったのだろうか?
また、噂が波紋のごとく広がって他クラスの不良生徒までもが嗅ぎつけるというのは、あまり訝しいものがある、とは言いすぎだろうか?

もう一つの奇怪な点は、ラブレターを私の机の引き出しに、いつ、どう仕込んだか。
女子生徒が私の机の中に手を突っ込む、そんな光景を見られれば怪しまれるだろう。
時間として考えられるのは掃除の時間か昼休み。
これらの時間は、教室にいる人数が著しく少ない。
ラブレター投函がバレるリスクもその分落ちる。
掃除の時間なら尚更だろうが、その場合教室の掃除をしていた者にも限定できる。
もちろん、今それを調べ出せる術は皆無だ。
また、ラブレター投函の光景を見た者がいないとも言えない。
見て見ぬフリをした者から、あるいはこのラブレターが先述のような陰謀であれば、立会人がいるだろうし、私の机にラブレター投函した者は男子生徒かもしれない。
陰謀なら陰謀で、私を標的にしたのもなぜか気になるが、もはや詮索の余地はない。



【敢然と抗した実例】


・「消しゴム事件」(*5)
消しゴム投げ ぶつける いじめ 嫌がらせ

中2の1学期(2学期かも)のとある日の4時間目に「消しゴム事件」が勃発。
授業中、白昼堂々と私へ消しゴムをちぎったものを投げてくるという陳腐な嫌がらせだ。
最初こそ、私の机上に見知らぬ消しゴムを視認したに過ぎなかったが、それが他所より投げられたものであるということに、次第に増えゆく量から察した。
飛んできた方角へ振り向けば、私に下卑た笑いを浮かべて見つめる不良生徒。
当然その異様な光景に教師が気付く由もなく、周囲も沈黙を貫く。
堪え続けるのも不甲斐ないので、授業を進める教師に構わず起立発言を呈し、その下に「早退」の宣言をして、驚きで視線を向ける周囲(少し間の空いた左隣には好きなT.T.がいた、遠くから「○○かっけーな」と囁く声もした)に脇目も振らず、私は荷物をまとめて教室を颯爽と抜け出した。

すぐに別の教師が気付いたようで、中2の時の教室があった4階にて私を止めにかかり、振り切るわけにもいかず従い、2階の昇降口近くの職員室横にある会議室(?)の中で、更に別の教師の立会いの下、相談という形になった。
懐柔するように、授業へ戻るよう催促もしてきたが、当の私にその意思はなく、断固拒否を貫いた末、私はその日の早退を勝ち抜いた。
学校を抜けてからも背徳感は強かったし、翌日の登校が億劫だったが、威風堂々の登校を遂げられた。

常人であれば、一時の憤怒が発端で尾を引くことをしたら、不登校になるのが行く末だ。
辛うじて、この頃はそんな逆境にも敢然と抗せられたのだった。
謂わばこのボイコットを成し得たこと自体がその現れでもあった。
だがこれを機に不登校になれば、歴然とした排斥行為の成立を意味し、私はそれに屈してしまったという扱いになってただろう。
なお、2010年12月から始まる不登校は、不良生徒のいじめや単発のトラブル等に起因するものではない。



・「音楽の授業」
中2の1学期で、音楽の授業中に私に不良生徒か誰かが冷やかしたか何かで、ちょっとした問題が起きたため、臨時で時の音楽教師(若い女性)から事情を問われたりした。
その場所が音楽室や階段の踊り場と繋がっている、楽器が置かれた準備室。
二人っきりで、この狭い部屋で相談という形になる。

果たして、授業中に私は腹を立ててしまったのだろうか。
こんなに目立つ問題が頻発すれば心身ズタズタになったのではなかろうか。
そんな悲哀を秘めた胸中から、慟哭のあまり涙も零れたのではないか。
若い女性の前で涙を見せることは、はしたないのだろうか。
この女性は2学期の始業式に産休に入ったことが生徒へ告げられる。腐れマ○コが。
私自身も12月初めより不登校になったので、彼女がその後復帰したかは不明。



・「諸旅行時の恒例化された問題」
ここまで数々の問題を見てきただろうが、修学旅行等における折角のウキウキ気分を悉く台無しにするような問題ももちろんあった。
まあ、小5の林間学校(*6)の時からある程度、参加前から予知し得て、想像に難くない問題だったから、あながちウキウキだったとは言えないがね。
小5林間学校と小6修学旅行(*7)における問題は注釈リンク6・7を参照。

中1のスキー教室では注釈リンク7に『険悪な空気から気圧され、スキーが上手くできず周囲に嘲笑され「やってられるか」と憤った結果、コースを別ルートで降りた先の小屋の中で、付き添いの教師と隔離ということに。』とある。
このスキー教室にしても小5林間・小6修学にしても、班で宿泊する部屋の中では問題なく平穏であったが、外ではどうしてもこうなってしまうようだ。
中2の時は旅行こそなかったが、遠征の授業として県内の河川敷(山奥?)でカレーライスを作るというような授業が10月行われた。
この文脈で分かるとおり、私は参加を拒否しているので、記憶が乏しい。
課外授業では毎回不穏なことが起きるのみならず、上述の「調理実習」における疎外まであるとすれば、堪りかねたものではない。
よって参加を辞退せざるを得ないのは不可避的決断だった。



【注釈・リンク】
*1…小5離婚に伴い父と二人暮らしで、しかも家庭内別居状態が中2の10月より始まる。