強い仏性

17歳の暮れの月となりて、法を学ぶ心は弥猛る・・・のか。
 
去る2014年の大晦日。
私でいうところの従兄たる人物(交流ナシ)が、25~6歳という若さにして心臓発作により、当人の母たる人物(私から見て叔母)に先立ってしまわれた。
交流のない間柄で、微塵も弔意が沸かない、悼みもない私であった。 

閲するに、茨城サイドの親戚は斯くも脆くあることは明々白々と、仏法の眼で断じた。
故に、鴨川・千葉サイドの親戚などの信仰を捨て置いてはならないことも実感した。

仏法における「老少不定」の理を目の当たりにしては、求道心が弥猛る。
信仰の実践という、行動的段階に至るには未だ早すぎるようで過渡期だ。
この過渡期とは、懈怠懶惰とみなされるのか。
茨城の親戚に備わる不幸の因果が強い現証を刮目したなら、いち早くその罪業などを清算する必要がある。
すれば、年を逐うて蓋然化される夭折傾向、その悪しき苦境から解脱される。
功徳が回向されれば、これこそ真の親孝行、或いは兄弟等にもその夭折境涯が消滅する。

頭頂部の不治のハゲ、「瘢痕性禿髪」。
1歳の頃の腫瘍切除手術の痕跡であるが、忌まわしいものでしかないと思っていたものの、これはもしや、永続の得度ではないか。
そう思えてならない今の私。
先天的・・・とまで言わずとも、これは強き仏性ではないか。
「世俗の名利と無縁な境涯」である私であっても、こと仏法上では誰よりも抜きん出てるのか。
故に、今の私が求道心、菩提心を持ってるのかもしれない。

千葉の親戚・・・なかんずく鴨川のおばあさま等は近所諸共、日蓮系のようで。
「南無妙法蓮華経」との出会いが、無論2009年4月祖父葬式で日常の勤行に立ち会った際・・・そのことは上記の1月12日の記事リンク先10月28日の記事に書いてあるがね。
もちろん、唱題=日蓮系とは断定できない。
ナンミョーは立正佼成会や霊友会等であっても唱えられているのだから。
とある見解では「大聖人や御本尊への信心がなければ功徳はない」 と。



日蓮系への強い興味が芽生えたのは2014年6月の頃。
我が故郷・埼玉に本部がある顕正会の動画「還御を寿ぎ奉る」がきっかけだった、ということを日蓮正宗の人が聞いたら渋面するだろう。
ニコニコ動画・創価学会ネタが好きだった人なら多少は入りやすいだろう。
ご存知、池田大作先生はもちろん日顕上人猊下もお出ましになっているし、何より知への探究心がナレーションの言葉選びというものに感銘を受けるであろう。
この動画を率先して視聴した意欲こそ、本来はこちらだけどね。

「還御を寿ぎ奉る」は、大御本尊様が正本堂から奉安殿に還御あそばされた記念のイベント、この頃に東京都板橋区常盤台から埼玉県(旧)大宮市寿能町に本部が移転された。
・・・・・・これ以上何かの教団について語ることは憚られるので切り上げよう。
「還御を寿ぎ奉る」は顕正会発足50周年の際「誑惑の(略)崩壊す!!」とリメイク。

日蓮系の説明についてもここまでにしておく。
仮に鴨川のおばあさま等が日蓮系でも、身延山久遠寺派か富士大石寺派か、あるいは破門された元信徒団体かも調べる術がない。
いずれも袂を分かつ出来事以来は相容れない関係で、いがみ合いが絶え間ない。
身延と富士は日興上人の身延離山前、破門信徒団体は正本堂落成以降。
樹形図が枝分かれする様相を呈するその原因を、一口には言えないほど奥深い。



頭頂部のハゲについての話に戻す。
これが強き仏性であれば凄いことだが、私は長髪の宿命もある。
ということで、ハゲと長髪の両極、二物を備えていることになるし、後者は時間の経過により顕著となる。

ところで、自分の知らない間に改造されていた、とも言えるこの件だが、私が幾度と読み返している某小説でも、主人公がとても幼い頃、物心の付かない頃に改造計画の実験体になったという設定がある。
常人離れの身体能力、常識外れの特殊能力の根源がそれに因るものだそうだ。
この某小説は2年以上更新放置中(リンク先末尾参照)なため、読者が知れる設定はその全てに及ばないし、その背景もやはり現在の更新分では触れられておらず、主人公自身が未だその過去を知らされてもいない。

私としても幼い頃に幸か不幸か変な手術をされ、腫瘍云々も未だ仔細を存ぜず。
その為に、そんな荒療治の必要性があるか否かも得心がいくことはない。
よって「強き仏性」という所見で以て解決すれば平らになる。




メモ帳更新、最新の1記事は「小説等を読んで勉強する方法
この記事は先述の某小説を読んだという背景が強い影響で書いた。
1月23日投稿だが、原案を綴ったのはその3週間ほど前、実に正月の時だ。

優れた小説・文学作品を、ただストーリーのみ噛み砕いて読み進め、「1回読んでポイッ」ではいけない、繰り返し幾度となく念入りに読み直して「心肝に染めよう」ということに念を押している、この精神で以て読むことが勉強。
小説のみならず、上記「日蓮大聖人」の御書等は、日蓮正宗然り、創価学会然り、その他おのおのの信徒が個人のサイト上で掲載していて、無宗教の者でも尊き教えに触れられる。
これらもまた読み耽って「心肝に染める」気概で行こう。

最近の民心は宗教でいうとイスラム教過激派「イスラム国」が視線を一身に受けてる。
政治の話は・・・遠慮する、というか、この一報を知ったのは、奇しくも私が1月20日のメモ帳記事にて政治軽視発言を書いた矢先のことであった。