豈

例えば、幼少の私が子供らしさを大きく欠いて、慎ましやかに振舞う。
金銭の絡む要求(例:あのゲームほしい)であるとか、欲望の一切を隠忍自重し、おくびにも出さない子供として幼少を生きたとする。
それをする前に、1歳からあるハゲた箇所は取り返しがつかない。
更に、私がどう孝子の装いをしても、私の両親は価値観が互いに相容れず、母親は喧嘩の原因を作ってしまう。

事実、私が小2の頃に母親はエレクトーンを購入したが、きっと父親への相談はなかったのだろうから、当時さぞかし夫婦喧嘩の発端となったことだろう。
帰宅して突然、室内に見覚えのない高価そうなものがあれば、「またか」と父親にとり憤慨を禁じ得ないものだ。
エレクトーンはごく一例として引き合いに出したに過ぎない(他の楽器については過去記事も参照)。
かつて、休日は毎度のように勃発した夫婦喧嘩は、母親の衝動的な浪費に端を発し、その内容に目くじらを立てた父親の憤怒に起因するのか。
この所見は、数年ほど前から私の中での通説となっている。

家庭の基盤とは、まさしく夫婦そのものではないか。
不穏なる夫婦喧嘩をひっきりなしに見せられる子供に、発育の影響もある。
・・・そういう以前に、1歳の時から頭にハゲがある俺や、高齢出産の弊害を受けた下の弟などは、もはやこういった後々の要因なんて物の数ではなさそうだが。
それを言ってしまえば当記事の趣旨が根底から崩れるので伏す。

夫婦喧嘩および厳しい体罰で、幼稚園の半分以上が不登校(不登園)ということになってしまったのか、これも普通の子供じゃ到底なりえない。
人格的に問題が生じるのも、子供の努力で防ぐことは不可能。
霊が憑依するか超能力などで洗脳でもして、冒頭のように生真面目で子供らしさ皆無の人格に変えたとしても、夫婦の問題が解決することもない。
両親の人間性に伴う不和であるから、息子らの努力では直せようもない。

金銭面が多く喧嘩の原因となっている場合、母親には協調性を持ってもらう(金銭面のみならず、対話上でも母は自分の言いたいことを言いつつ相手の敵愾心や不快感を煽ってばかりだから母子家庭の現在でも親子の会話で平穏なことは少ない)。
また、父親にも怒りを抑える寛容さを持ってもらう。
その内の片方だけでも円満さを戻せる(どちらの方がより幸福なのだろうか)。
だが、結婚自体がまともな交際も経ず、年の差に伴う溝を埋められないまま、形だけ行われた粗末な婚約であった時点で、奇跡的な回復などあるはずもなかった。
現実の話だと、私小5始まりと共に別居することとなった。

家の柱たる夫婦が反目しあう状況(悪い意味で大らか=鈍い母親は、あまり父親を敬遠してはいなかったと思うけど)の、なんと恐ろしいことか。
豈愁えざらんや、豈苦しまざらんや。
めおとの乖きたるは、家の柱の倒さるるに等しかりなん、豈愁えざ・・・



私が生まれる前の時間に遡る。
片や37歳、俄かに結婚したい意志が生まれて求婚をはじめた時には些か遅かった。
遅いなりに、じっくり相手を吟味すべきところも、過つこととなる。
医療従事者、少し美人っぽく、その年は実に8歳ほど下。
保険会社勤務の父親自体も、その年までに着々と積みあげてきた財産が一定の訴求力を持っていた。
双方の利害の一致が、初めは機運を高めたことであろう。
父親は、大人としての見識よりも、ただ焦燥感が後押しして悪妻を娶った。

その中に生まれた三兄弟が、後に問題を抱える健常児か知的障害児。
このような親の業がある以上、私がいかなる選択を決然となそうとも、あの手この手で私は思わぬ方向にそらされてしまうのではないか。
どう進んでも、現実的に夫婦の決裂は事実上不可避のものである。
浅薄なる両親らは、結婚ないし出産を「人生のゴール」などと短絡していたがために、とりあえず「肩書きの良い相手なら問題ない」ことと決め込んだ。
(年齢的に)切迫しているからこそ知識と覚悟を備えるべきであったのに、いずれも欠如したまま「ゴールだけすれば良い」との軽佻浮薄な婚姻を交わせば、瓦解は必定だ。

そもそも幼い子供など、周囲の環境こそが本人の育ち方を決めるもので、優れた子も劣った子も、大概は本人の意志ではなく第一に親の手腕に因る。
これ自体は小学生の時からそれとなく浮かんでいた思想だ。
私の知能が優れているのは、同じく優れた知能を持つ両親のDNAを正統に受け継いだ故であるが、上の弟は些か遅めの出産から色々欠陥が・・・
下の弟に至っては、典型的な晩産の弊害(父42・母34)で知的障害を持ってしまった。



かくして私は、あの父親の重圧っぽい威容に怖じ恐れ、母親の無慈悲な暴力に泣き喚くような時間を小5まで耐え忍ばねばならなかった。
父親と二人暮らしになって互いに打ち解ける努力をしたとは思うが、それは表面張力であった。
一方、私が小4の時に、二人の弟は苦難を先に逃れることになった。
児童養護施設に預けられたわけだから、特に上の弟は僅かな2年という期間のみ半ば強制で学校へ通うようになった(上の弟の不登校歴などはメモ帳過去記事参照)。

弟らと比べ、私はあの母親の無慈悲な暴力に晒される時間が長かった。
生まれてからの3年差し引いても、6年間は毎日のように怒声を聞かされ、挙句の果てに理不尽な殴打を頭部に連発されれば、どのような育ち方をするのか。
心が壊れてしまわずに今まで生きてこられたことは不幸中の幸い。
既述の「あの手この手で」とある通り、学校生活におけるいじめなど、私を困窮させようとする魔の手は、のべつ幕なしに入り乱れたことは諸君も想像に難くない。
まさしく「一難去ってまた一難」、どう生きるとも私は挫かれる試練が重なる。



母親の体罰=横暴、虐待というものは、正気の人間の所業にあらず。
母は、2014年4月3日23時41分のメールに「ママもお婆ちゃんには、痛めつけられていて沢山嫌な思いをしているんだ。」と綴っている。
尚且つ、あの祖母に対し直接「いじめられた覚えはあるけど、虐待された覚えは」などと威張っている。
そのように自分が実母から虐待されただとか強弁するなら、それを実子に振るう道理などあるのだろうか。
言動不一致とは、このことである。

同メールにも「浪費癖があり、口が悪く」と書いてあるが、あなた自身であろう。
浪費癖の件は既述の通りであるし、既述の文章リンク先記事などをご覧になれば、上の弟でも理解は容易。
「口が悪く」まで引用する理由は、これまた既述の文章を熟読玩味されたし。
加えて新たにあの母親の名言をここに残しておく。

「出来ないなら拳骨あと100発("100発"は脅し文句だが、"拳骨・ゲンコツ"を行ったことは事実)」
「変な子が生まれて次の子を期待したらまた変な子で、今度は知的障害児」
「困った、3人とも知的障害で(14年2月4日。口が滑ったとしても許されざる暴言)」



あの母親が祖母について指している言葉の内、「口が悪い、浪費癖がある、虐待する」などは悉く、発言者自身をも表しておろう。
今でこそ、あるいは私の知る限り2011年以降はめっきり拳骨などしなくなった。
当然、母親のそばに2011年4月18日までいなかったのだから、弟2人が2009年1月~2011年4月までにどんな具合と頻度で体罰を受けたかは知る由もない。

さしもの母親とて、年が来れば次第に振るう暴力に己の身が持たなくなる。
だからこそ、在りし日の暴虐の具現といえるあの母親は、実子の頭頂部を目掛けて繰り出す拳骨に、自分の手の痛みさえ顧みずよくもやり遂げられたものだと感嘆。
上の弟がいい年になった頃には、二人の子にこれを振るう姿は、さながら地獄の囚人を虐げる獄卒であった。







↑までの文章は、3月18日に大筋を書き上げた。
3月20日18時台、ラーメンを作らんと肉・野菜等の食材を運ぶ最中、冷蔵庫から取り出した卵ひとつが手から滑り落ちてヒビが入った。
この時に「醜い事象について考え事」をしたが為に、こうなった。

その後も続けざまに厄介事が起きるが、別途メモ帳に記事を作ったので、強く参照する必要がある。
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/03/blog-post21.html

↑斯様に色々と難儀した末、伸びた少しまずい麺を食らうことになった。
家が汚れて困るのは、私よりもお母様なのだが、神は「親を大事にしろ」といいながら、なぜ、実子に親の胃に穴を空けせしむ真似をさせるのだろうか(孝子たる私は、空けさせまいと自ら進んで大掃除して親孝行したが)。
私をここまで困窮に陥れた「醜い事象の考え事」とは、当記事の本文と関係する。



3月20日早朝、よく覗くSNSのトップページで不快な投稿を見た。
某SNSトップには、私の知ってる誰かの投稿が知らぬ誰かの投稿を「シェア」したものが出ていた(見るつもりはないのに、勝手に見せられる)。
幼くして病気を持った子供が、生まれたことを母親に懺悔してる手紙(リンク先は当然クリックするわけはない、序文だけ表示されたものが目に入った)と、それについて酷く讃嘆しつつ他の人間を貶めている偽善者の乱文。
誰かの低劣な投稿なんて、相変わらず目の毒だと、再確認した。
低劣卑俗投稿は見まいとして久しいが、少しでも他人の輪に入らんとすれば自分が嫌な思いをするだけだ。

3月20日16時過ぎ、母親が見てるテレビの音声から漏れた、某死刑囚の娘が父を今でも慕っているという、偽善者じみた内容の報道のナレーション。
SNSのザコユーザー投稿同様、テレビもアンポンタンであるから見まいとして久しいのは言うまでもないこと。

これらの胸糞悪い話ばかりが私を苛んだが故に、未曾有の大災難が勃発した。
興味なくどうでもいいこと(見たくて見たわけでも、聞きたくて聞いたわけでもない上記の経緯が証拠)で揺さぶられない心が欲しいと、切に思う(以前にも「意に介さぬ姿勢、胆力をいち早く身に着けなければ意志の根底から崩される」と書いていた通りであるから、この件に始まった思想でもない)。
近頃はこの件を抜きにしても平常が保ちづらい。

結局この件も、俺が悪いというよりは、不快な話を俺に見せてくる運命が、先の不幸を暗示していただけで、別に俺が犯した失敗ではない、と見る。
どっちにしろ卵にヒビを入れてしまい、後のことは全て踏んでしまう轍だ。
これも不可避の宿業であり、俺の用心くらいで救われる範疇ではない。
事実、用心していたから、大火傷を負わずに済み、手際よく処理できたのだろう。

上メモ帳リンクでも書いたが、私の部屋などが汚れたことを聞いて一番困るのは、他でもない家の所有者=私の母神様であるのだから、無慈悲な運命だと思う。
孝子たる私は、母神様を困らせまいと、黙って自ら孝行の掃除に勤しんだ。







最近のメモ帳記事

3月15日 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/03/blog-post_15.html
3月18日 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/03/blog-post_18.html
3月21日 ・・・既に何回もリンクしたでしょ。

この他、近日中にもう一本投稿予定。
15,18,21というペースはピンと来た通り、3の倍数。
気持ちとしては24日に投稿されることを、私も望んでいる。