46キロ 46.60kg

2014年1月に食生活に関する記事を書き、そこで中学までの簡単な経緯、中1・2期の詳細な鍛錬メニュー等、家出以後の簡単な経緯と、当時の状況を記した。
この当時より、約1年半で食生活がガラッと変わったことは、克明な過去の投稿をもって知れるところだが、改めてその概略を複数点、当記事で挙げていきたい。

前回記事でも体重について少々触れていたが、身長についてはどうか。
私の身長は数年前から自称・約170cmであるが、例えば知的障害の弟が中2の4月の発育測定で計測された数値は172cmであった。
・・・背中を合わせて頭の高さを比べると面白そうだな~、という意味。
 

目次 (Wikipediaライクに、li要素とページ内移動リンク)

先の記事で"46.60kg"の数値について、計測時の詳細な体調や服装などの状況などを記すと共に語った。
6月8日の風呂上り、全裸ながら私の80cm超の髪が水を吸っていて重い状況で計測しても、47キロを下回った。
これを受けて、危機感を覚えつつ「もっと脂肪が落ちて痩せたらいいな~」と意気込んだ。
6月12日の風呂上りに計っても同様(46.35kg)だった。

長期間一方的に体重が減少することは、大別して「老衰」か「拒食(拒食症と区別される自発的で広義)」だろう。
私の状態は前者と後者を兼ねている、との所見だ。
減少する現象自体は「老衰」型だが、その仔細は後述される。

痩せてなお活力が増すのは、拒食極まる「拒食症」の一時的な虚勢である。
近頃は勉強も執筆も創作も盛んになってきている私の故に、「拒食」要素も兼ねているとの所見がある。
仮に拒食症が濃厚であるならば、その虚勢の持続は久しからずして、遠からず日常生活の崩壊を招くが常。
これは2000年代後半よりテレビで喧伝され、今や周知のところか。

痩せてなお活力が増すという老人もいるが、それはあの祖母である。
自発的な拒食でなく、老健施設の質素な食事による制限で、健康的に痩せた(老健以前は、弟による虐待で一時的に老衰型の痩せ方も合ったが)ことが、叔母さんTの5月3日1時51分のメールに伝えられるところ。
よって、長期間一方的に体重が減少することは「老衰・拒食」のほかに、「制約」などもあるとみなせる。



我が家にある一台のみのこの体重計は、他の物と比べて正確さに不安が強く残る。
スタイリッシュでコンパクトなデザインを標榜しているため、足を乗せるにも奥行き14cm(製品パッケージによると"140mm")しかなく、当然15歳以上の多くの男性は、指先などが計測器の外にはみ出てしまう。
まあ、足の部位が地面に触れて、その地面に体重を分散させなければ、一見足が収まりきらなくても一応は重力が計測器に全てかかる。
指先などのはみ出た箇所は、力を加えて宙に浮かせる必要がある。
 
次に不安があるのは、そのしっかりかかった重力を捉えて正確な数値にしてくれるのかという点だ。
コンパクトの体でも正しく認識して反映してくれるか。
体脂肪率なども計測されるが、色々な理由で参考にする気にはならない。
※体脂肪率など諸々図ってくれる体重計は、「体組成計」と呼ぶ。

この体重計は母親が誰かに贈呈された物か、過去の薬剤師の仕事でもらった物か、あるいは母親が自ら選んで購入した物なのか。
この体重計が正確かは、他の信頼できる体重計と数値の差を比較することで判断できるが、法的に問題なく流通しているのだから、これも信頼すべきか。

ともあれ、かかる体重計が時間的な劣化をしていなければ、初めて使用してからの半年間が53~55キロ台だったとして、今は同じ体重計で最低46.60kgまで記録している。
当時の体でいかなる小細工をかけようと、これは不可能そのものだ。
2014年11月26日(半年前)のメモ帳記事でも、体重計で「48」という数字を見たことがないとさえ書いている。
こういった点から、私自身が1年以上かけて痩せていっている傾向が明確になっている。
それでは、元々痩せていた私が、2014年1月の記事以来いかなる食生活の変化で痩せ続けたか示してゆく。



レトルトご飯の制限

2013年途中から母親に頼んでより1日に平均して約1食は食べていたと思う。
中でもサトウのごはんをメインで食べていた(リンク先で箱買い)。
当然、普通にご飯を炊くのよりも遥かにコストがかかり、1食200gが5食入った1セットは買い物に重荷となる。
それを顧みた上で母親にサトウのごはんを頼んでも、不満は出なかった。
上文字リンク先の動画にある通り、箱買いもあったが、計3回のみ。

このサトウのごはんを買わない方針が告げられたのは2014年10月のことだ。
それからはラーメンを摂る量を増やし、漸次サトウのごはんを抑えゆく。
その10月頃の購入を最後に、残されたサトウのごはんの賞味期限は2015年3月下旬だったが、同月初めまでは3食分ほどが残り、賞味期限の数日以内まで1食分が残りきった。
これを実現できたのも、上文字リンク先の動画にある通り、2014年12月から炊飯器で自ら炊飯する努力を重ねたことによる。

最近の状況としては、数ヶ月ほど前(例の3月下旬の直後?)から、たまにレトルトご飯を頼むことがある。
専らプライベートブランドで、サトウのごはんは今のところ未購入。
かつて毎週のように頼んだことと違い、節度を持っている。
当時の価値観からすれば、今は相当に苦しい生活かもしれない。
現に痩せ続けているわけだが、結局体が弱い点は昔も違いがない。



ハーフベーコンの摂食をやめて海苔に替えた

ベーコンは、去る2014年1月の記事をはじめ、同月の食事動画にも、焼かれたものがサトウのごはんの上に乗せられて、静止画で写っている。
豚肉加工食品の常食、その黎明がいつであるか、当初はベーコンよりハムの方が多かったり、ウィンナーほかソーセージ系などバリエーション・・・バラバラに食べていたが、ハムはラーメンとあまり合わないからベーコン中心にする旨を2012年頃に伝えて以降は、極稀にウィンナーを買われる以外ベーコンのみとなった。
ベーコンの主な調理方法は、焼いてご飯と一緒、(主に)茹でてラーメンの具材、そのまま食すなど、適度なペースで消費する為の工夫をしていた。
焼きベーコンとご飯にはマヨネーズが合う。ベーコンをやめたことで自ずとマヨネーズの使用も止まって新たに求めなくなり、もし欲しい時があっても抑える。

年が明けた2015年以降、元々の銘柄からトップバリュのものに替わっていったが、不満は特になかった。
どちらにしろコチニール色素を使っているような色彩なのだが、後者はそれを明記していても、前者は「くん液」という枠の中に、色素の使用を隠していた。
人工的な着色は、いずれにせよ茹で水がその着色料に染まり、ベーコンならばピンク色が流れ出る。
普通の生肉を茹でて一時的にピンク等を経て白く濁るなどしても、その成分=たんぱく質等は次第に高熱で凝固して白い塊に浮き、茹で水は透明色に帰すものだ。

そして平成26年度末(2015年3月頃)にトップバリュのそれがリニューアルされ、パックのデザインが変わったと同時に、肉質も魚のすり身、いわば魚肉ソーセージ的で食感も不自然で、豚バラ肉の風味から遠ざかってしまったことが嘆かわしい。
また、1パック5枚が4枚に減った分、肉の厚みを増したようだが、それでも内容量38gという表示のままだったことは、本当に同じ重量のままなのか疑問なものの、メーカーが計量した上でそう表示しているのだから、きっとそうなのだろう。
製造書固有記号を検索しても、元のメーカーや工場と同一らしい。



これを機に、元々もう少しヘルシーでラーメンやご飯にも合う「海苔」に替えてもらおうと決めて、2015年4月中に海苔への移行が完了した。
母親に海苔を単純に頼むと、自主的に買わない味付け海苔や韓国海苔を選ぶことも考えられるため、初めから「板のり」にするよう明確に指定をした。

ベーコンを熱さずにご飯と合わせるのは酷だし、焼いたら手間がかかるのと同時に、過去記事や動画にも見られる通り自室で調理して食事しているわけだから、臭いが残ることも気になる。
鍋にベーコンの焦げと脂も残したままなのは、或いはティッシュでふき取るのも紙がもったいないだとかそれも不衛生だとか、書くと長くなることを省くのも惜しいしね。
色々理由がある、というと、海苔だってクズが散乱しやすいし、毎度細心の注意を払うだとか、どうのこうの。

同トップバリュ38gが4パックで1セットのハーフベーコンと、同トップバリュ10枚入りが2袋で1セットの板のりなら、販売価格は板のりの方が割高だが、食事に使える回数もずっと多くて、私が食べる上で合理的だ。
脂肪分がほとんどなくてヘルシーな「乾燥焼き海草」だが、塩分については多少含まれる、私は気にしていないが、念のためそう書いておく。



シリアルの食べ方(後日の加筆)

シリアルを食べる際の器には、多くの人の場合やや底が深い皿かボウルを用いており、私も元々大きめのマグカップを使っていたが、そのカップが購入後数ヶ月(2012年1月前後)で呆気なく割れて以降は、ムーミンがプリントされた小さなマグカップを使っている。
始めこそ、これでシリアルを食べ続けなければならないのは、スプーンなど出し入れしづらくて不便に感じた部分が多かったが、器の大きさは摂食量の感覚を左右する。
この小さいカップで1杯というのは、少なく感じるかもしれないのだが、普通の人らは広いボウルであっても、1杯じゃ足りないと感じている。
どっちのカップにしても、2杯か、各々が多いという「杯数」に達したらそれで多いのだ。

ダイエットの理論では、普段使うご飯の茶碗を一回り小さいものに置き換えれば、それだけで量のコントロールが利くと言われ、他にもペットボトル飲料をペットボトルのまま飲むのとコップに注いで飲むのとでは、飲んだ量の感覚に違いが出やすい。
ペットボトルのまま飲むと、いくら飲んだかは感覚が得づらく、麻痺した状態にも似ており、コップに注いだ100mlで足りても、ボトルグビグビは200mlでなお足らず、全部飲まねば気が済まないこともあろう。
シリアルにしても、欲張りボウルとちっこいカップでの容量の差など意に介さず、どの1杯も等しく1杯であると「足るを知る」気でおらねばならない。



菓子の食べ方(後日の加筆)

甘い菓子(例外アリ)は好物であるが、幼少~1年ほど前に至るまで、一度に食べる量が多めの傾向が強かったが、特にジュースや炭酸飲料等の同じく甘い飲み物と共に平らげるのは小学校の頃が激しい。
清涼飲料水については後述されるので、しばしお読みあれ。
今ではスナック菓子含む菓子全般(同例外は別)が一日にチョコチョコと、お茶なりコーヒーなりお湯なりで流しながら食べているが、これがどう健康面で優れているかといえば、同等の糖分を含む食事も、摂取するに時間を置いておくほどに、血糖値の変化に著しい差を生じさせる。
その血糖値が一時的ないし恒常的に高くありつづければ、血中の不要な糖分をインスリンが脂肪細胞に蓄えて脂肪に合成し(これがされない・されても血糖が多く残る人は高い濃度のまま糖尿病の諸症状が出る)、エネルギー消費されなければ皮下や内臓に溜まる。
甘い菓子を好物とするにも、食べ方が自ずと上品に変わることで、これがまた痩せる要因として機能するという、精神論のようだが医学上でも論証した。

子供の規則的な生活リズムのための習慣「3時のおやつ」も、その本来の目的を除けば、特に大人などは愚直に真似する必要もなくなる。
例えば、大人が決まった時間内に一日の決まった量の菓子を食べてしまうと、先述のように血糖値の観点からは良くないが、子供であればその観点で見ても許容されてよいのではないか。
糖分の過剰摂取が子供の体作りになるか定かでないが、精神面では健全な方かもしれないし、この部分で健常児に制限を課さずとも近い将来に酷な弊害があるとは思えない。
※いつからかテレビなどで喧伝される「14時頃に摂る食事が最も太りづらい」という情報とはまた別の話であるが、2014年1月の記事はこの"BMAL1"に関する情報を念頭に置いてのタイトルでもある。

幼少の自分を思うに、あれはあれで良いのかも知れないが、そのためにぽっちゃり体型を小4二学期で転校した学校から「デブ」と呼ばれ、中2までに現在と同じほどのBMIになったら「ガリガリ」だと両極端な評判を招いた前者の根源・同年代女性より痩せている母親の食生活から遠い日々によって招かれた後者にも間接的に関与していることに思い至ると、全て諒とするのは難しい。






以上綴ってきたように、年々痩せるような食生活に変容していることがわかるが、一部母親の経済的な方針に依り随っている面もある。
それで、特に不満を漏らさないわけだから、次第に痩せる道理がある。

経済的な方針を自ら決めるとすれば、例えば自販機通いの自己制約だ。
5月27日の日記メモにも「今年の夏は可能な限り氷水で忍び、ペットボトル飲料を断つ」と決めることにした。
去年は母親に、炭酸飲料なりスポーツドリンクなりお茶なりのペットボトル飲料を、申し訳なくも頼んでいたのだが、なぜこういった味を求めようとするか。
色気の無い生活に味気も無くなってしまうが、その氷水で耐え忍ぶ制約を、自ら課せないことはないだろう。
されば、母親にふてぶてしい要求をする罪悪感だとかも一掃される。
当の日記メモで、下の弟の飲用状況についても触れている。

小遣いについても、母親が出し渋ろうとも、強制したり催促はしない。
出さないならそれで承服し、自販機通いを控えめにするということが、去年末よりそんな気持ちになった。
今年のお年玉が一万円だったが、これは母から能動的に出されたもので、催促メールなどしてもいなければ、お年玉の受け取りさえ気分が重いほどだった。

だが、母親の場合、出すか出さないか言い渡さず有耶無耶にするようだ。
私が小遣いについて問うメールをする真意は、決して表層の即物的な意図でなく、母親の意思を確認して分明にしてもらう為である。
今月の小遣いに関する疑問のメールと、6月5日の会話に関する話は、6月8日の日記メモにある。
http://plus.google.com/u/0/+MasashiYokono/posts/BKx4yVJPhd3



ところで今、健康的な面で私が最も憂えていることは、便秘ではないか。
夏になっても改善される気が起こらない。
2014年の夏は、下痢がほとんどなかったことは11月8日投稿の記事(下書きはその日でない)に読み取れる。
"2012年などは、週に数度下痢が出ることも少なくなかったが、今ではかなり改善されており、生活記録上、8月末~11月1日の今日まで下痢ナシ"
その8月末以前(7月以降)にどうだったかは何も書いていないものの、同様に下痢は極稀で、快便そのものであったことを私の体が覚えている。
したがって、当時は便秘だとか下剤使用だとかも全く無かった。
反して今年の8月は自発的な下痢はもちろん、快便がもたらされることも無いのではないか。






最近のメモ帳更新一覧
6月07日 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/06/blog-post_7.html
6月10日 http://lesbophilia.blogspot.jp/2015/06/blog-post_10.html

それぞれ要点、当地・豊橋での近況と、故郷・埼玉についての見解。

そういえば、体重の最低値が46キロ台でも、あらゆる状況を加味して平均48キロだとして、そのBMIは正確な身長不明の私の予想される170cmをもってBMIを算出すると、16.6になる。
過去にも書いたところに、中2の時のBMIの記憶が16.9であることからすると、身長伸びて尚もBMIの減少が起きているということは、相対的にも中2の時より痩せていることが明らかである。
BMIが同じ人間同士でも、身長が低いほど相対的に太っている。

例えば、小1の時の遠い記憶では身長が122cmで体重が20キロ=BMI13.43となるが、実際の体型が「ややぽっちゃり」だったことは確実だ。
当時の状況や全国平均など加味したときに、122cm=小2説や、体重=25キロ前後説もあり定かでない。
小2不登校時の記憶では、ある日が36kg、翌日が30kgに落ちたという数字の変遷が残っている。
まあ子供にはローレル指数が合うのかもしれないが、小4二学期転校先では「健康度」と称されたBMIが記録されているようだった。
よりぽちゃに近い約25キロで計算しなおしてもBMIは16.79で、今の私とほぼ同じような数字であることから、改めて同BMIでも身長が低いほど相対的にアレ。

バクバク食った後の膨らんだ腹を「妊娠した人」と言って笑った時間もあった。
暴飲暴食にも似た幼少期は、このように「どのくらい膨らむかなぁ?」と楽しげであったが、今では常識的な範囲の摂食量でも胃腸が不安。
幼少期と今を対比しても、同じ人間の20年の内に納まることは、著しい変化を見出すことも出来る。



二の腕 太さ 手

オマケ:右腕の太さを左手の指先で測った写真。
親指と中指の先がくっつくが、数ヶ月前までは、二の腕をなす肘から肩までの範囲のどこを頑張って掴んでも、親指と中指がくっつくことはなかった。
右腕を左手で掴むより、左腕を右手で掴む方がくっつきづらいというのは、右手の指が短いためのなのか、左腕が太いためなのかは知らず。

6月15日になり、メジャーで測ってみたところ、両腕とも画像で掴んだ位置の辺りでは約20cmで、無理すると19cmを切り、ついでにと、ウエスト=胴囲も測ったら63cm、無理をして56cmを切る。