顔出し動画 マスク 隠す

私のインターネット上における顔出しの最初は、小5ネット中毒期は飛ばし、小6(2008年)の時であった。
当時の携帯電話で、メール貼付による画像のアップロードと共有を行うサービスに写メを送信し、取得したURLを掲示板(上過去記事リンク)に貼って交流の一環に含めた。
この掲示板とは、小5期のPC利用から断続的な出入りによって中3までは深く利用し続けていたもので、過去に複数の記事に渡って触れてある。
その当時の感情は、チヤホヤされたいだとか、有名になりたいだとか、あるいはみんなと同じ気兼ねない交流あるいは住民としての格を上げる目的など色々と含まれていた。

それは中2(2010年)から始まる顔出し動画に関しても、先ほどのような感情や、何か芸能人気取りの部分もあったりと、気軽に積極的に活動をしていたが、当時なりの事情でYouTubeアカウントなどは頻繁に替えていた。
中2当時もまた携帯電話しか無かったので限界はあったが、出来る範囲で工夫(PC版にフルブラウザでアクセスしてアカウントの細かい設定やテンプレートのhtmlも多々いじった)をすることで質の向上を図った点は、当時のfc2ブログの利用と同様である。
中3に進級して間もない2011年4月18日に豊橋の母宅へ小旅行もとい家出して、母の小型ノートで手薬煉を引きつつ6月末に今の自分専用ノートPCを得てからは、アフィ儲けのほか、思いえがいた動画投稿活動をすべく色々試してきた。
PCを得てしばらくは、最後の携帯作成チャンネルでYouTubeと、2010年7月携帯作成アカウントのニコニコ動画(当時はニコ生だかゲーム実況だかゲームプレイだか音MADだかも投稿していた)などに渡って活動をしたが、後のメインチャンネルとなるアカウントは2011年7月13日に作成された。

現行のメインチャンネルにおける動画投稿活動で、もっとも打撃を受けたことは、2014年5月のGoogle Adsenseの停止である。
2011年から準(?)パートナーシップ契約があったチャンネルで、2013年の自由化以降の新参と比べて私が価値や信頼のある点に、運営者は頓着しないようである(ばかりか、理不尽と隠蔽の体質は何年も変わらない)。
アドセンス停止に関しての情報は、当時の記事に詳らかである。
アドセンスを停止された2014年の時はまだ動画投稿に重点を置いていたため、最低でも月に1本はまともな出来の動画(ボリュームや適切な編集などの基準をクリア)を投稿する不文律があった。

現状、その「まともな出来の動画」というものを投稿しないでいる理由として、2014年7月のPC異常に端を発した、やさしいPC利用の心がけや、それに重なるように動画投稿の意思が消えつつあるという点である。
私の活動は、2014年5月にあったAdsense停止による収益性の消失のほか、名声を得るといったことへの願望が薄れてきた上に、折しも同年7月のPC異常が重なったために、自己満足のためならPCを犯してまで必死な動画投稿に偏重する必要が無くなったため、この点が強まった。
ただし、動画投稿そのものを完全に辞めたつもりはないし、必要があれば今でも月1~5本ほどは音楽チャンネル日記チャンネルへの投稿を継続しているように、動画投稿活動からの退却を意味するものではない。

要は、私の活動全般が名利のためでなく、端的に言えば「自己満足・自由な探求」となっている現状、PCにムチを打ちながら縛られるように動画投稿せずとも、ただ漫然とやってきており、今後もそうあり続けよう。
「自己満足」とは、絵や音楽の創作に言語や宗教の勉強もそうであろうが、「自由な探求」もまた、絵と音楽と言語と宗教の研究ともいえる状態であり、絵や音楽の渾身の作品というものや外国語の会話、宗教信仰の実践などは私にとって少し遠いように思う。

ただ、この現状にあっても新規チャンネル登録者など、誰かしら期待する人はいる(私ピンポイントで熱烈に支持する者はいないだろうが)以上、半年も現行メインチャンネルで投稿活動をしないことは、衷心より申し訳なく感じる次第である。
挨拶くらいは動画として申し上げたいと思うが、これまた複雑な話、やたらと短いメッセージの動画ではいけないと思う反面、無理して凝った動画を作りたくないので、案ずるばかりにして終わることに、特段憂いも無い。



動画活動の危機に追い討ちをかけられた月

また話をややこしくするが(「広義の~」という段落の記述が2015年11月記で上も同月記だからここだけ16年1月で話が分断される)、折りしもそのPC異常のころ、2014年7月20日に当Win7機に"Windows Essentials 2012"を導入させて、弟Win8→8.1機に導入した"Live Movie Maker"と同じ仕様にグレードを上げようとした。
動機としては、その良さそうな仕様を求める積極的理由ほか、入れなおさねばならない問題が起きている消極的理由もあったかもしれないが、その利害一致によってとにかく導入の必要があり、それでどんな問題が副次的に生じようとこの際構わなかったのであろう。

ところが、元々の"Live Movie Maker"は動画ファイルを読み込めたのに、この機に導入し直すと動画ファイルが読み込めなくなってしまった。
このような異常事態で、過去バージョンのWindows Essentials (2011とか?)を探して再インストールするも、既に「インスコ済み」だとかと苦言され、2012をアンインストールしてもレジストリに何か残っているのか、同じく「インスコ済み」扱いで、頑迷固陋の極みである。
上書きインストールもさせないアホ開発者マイクロソフトに憤懣やるかたない思いで、甘受せざるを得ず。

こういう小難も今まで多くあったPCだが、これも動画制作活動の根幹に関わる一大事であるから、以後は静止画+音楽系動画以外は"Live Movie Maker"での動画編集が不能となり、おかげであのエンコードの負荷が強い"AviUtl"を動画編集で常用せざるを得なくなった。
前述のようなPC異常環境の下でなお、従来通りの投稿をするのであれば、前述の通り「PCにムチを打ちながら縛られるように動画投稿」せねばならない。
簡単な編集(カット、BGM付与など)は"Live Movie Maker"でやるほうが程よいというのに、これでは制作機運が下がるも必至である。
よって、当時ハマりつつあった携帯作曲にのめり込むこともできたし、それでいてPCで「音楽動画」くらいは8月中など多めに投稿がかなった。
私は一時も動画制作の志を失ってはいない、のである。



「広義のYouTuber」私による顔出し動画一考

次に、私が憧れる顔出し動画投稿者の像について語る。
2010・11年頃には多く、ほぼ無編集・ニコニコ系の顔出し動画を見ていた。
これらの有名どころには藤崎某・山下某・杉崎某がよく挙げられるが、彼らはそのジャンルについて調べてからようやく知った配信者であって、実際には杉田某や斎藤某あたりに強く憧れていたことを覚えている。
ニコニコ動画における「顔を出して語る動画」は、2007年β時代から台頭してきて、今のYouTuber世代とはやや異質であるが、一応は後のYouTuberとしても活動する配信者が輩出された経緯も見られる(山下某と2007年から動画出演経験のあるS、後にMと名乗る者がその一人であろうか)。

ちなみに、私は"YouTuber"という肩書きを名乗った覚えはない。
「YouTube利用者」という意味で、私は広義のYouTuberには当たるかもしれないが、自らそう名乗って顔出し撮影で動画投稿をするような、狭義かつ一般的な"YouTuber"、ザ・ユーチューバー様と私は、別物と判ず。
日本のYouTuber世代は、2013年以降台頭した感じがあり、主に藤崎・山下らのことは露ほども知らなければ、それらが支持された時代を教えても信じないと思う。

それで、「私が憧れる顔出し動画投稿者」というものは、「ほぼ無編集・ニコニコ系」という雰囲気のものが無くなり、既に末の世なれば滅尽(絶滅)していよう。
YouTuberの世代に移ったともいえるが、少なくとも私が憧れた諸氏はみなことごとく滅び去っている。
私は何も動画投稿にのみ偏重しているわけではないことを常々書いているけれど、例えば動画投稿者くらいには、尊敬できる人物がいても良いと思う。
私が今なおウォッチする人物の中で、一人「ほぼ無編集・ニコニコ系」の流儀を思わせる人物がいるけれども、衝動的に動画の全削除を繰り返す姿勢は道義に欠く。
この体たらくでは、私の希望も潰えてしまう。
よって、動画投稿はマイペースに細々と続けることがあっても、かつてのような野心は生まれないし、投稿者にも視聴者にも幻滅するほかない。
絵や音楽のような創作関係も、絶望の思いながら淡い希望は持っておく。

私の翹望するところは即ち、敬う存在と敬われる存在である。
良き師匠と良き弟子のようなものどちらも得られるとよい。
私には、このうちの片方だけでも有難くして余りがあろうか。
今のところ、どこのサイトにも優れた人間性・創作性を完全無欠に備えた人が見られなければ、衷心より尊敬してくれるような人も現れない。
要は顔出し動画・絵・音楽の創作においていずれもこなしつつ、私と同年代であり美しい外見の「師匠」も、絵・音楽の創作において協力するような「味方」も、私の活動全般を深く正しく理解して心から敬ってくれるような「弟子」も、その出現を未だ見ない。
ひたすら一人きりの孤陋の如き活動が続くのであった。

私はこの半年で「孤陋」という表現を自らに当てることが2・3度ほどあった。
どこでどうしても、他者の協力はおろか理解すらありえないから、ただ一人では修めきれないであろう幅広いジャンルに渡って追究する。
また、私から尊敬できる人・尊敬すべきような人も、この目で見ず、会うことは到底おきえないから、ただ往古を偲ばせることに徹す。
苟くもその稀有なる人材と居合わすとて、相手が自分を受け容れるとは限らず、常のように嫌われようか。
それでも求め続ける私は、「孤陋」の意を多分に含めている。

「須らく善友(ぜんぬ)を求むべし、(孤独の戦いが)人目にはわろきやうなれども、道心を安定(あんぢやう)せしめんがためなれば、なほ親近(しんごん)すべきにあらず」
「余・孤陋の身にて候へども、末代に正師(しやうし)の稀なるを思ひ候へば、苦しけれども苦しきは候はず」





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最新音楽館記事
http://deathmetal.blog.jp/arc/Jan-21-2016.html



当記事の初版は2015年11月16日19時56分
→その初版の日から1週間以内にほとんどの文章が書いてある。
時間を経たせてその間はあまり加筆せず投稿する記事多き昨今のワタクシ。

それから記事投稿に至る2016年2月までの間、何らかの動画投稿、というと具体的には本記事『「広義のYouTuber」私による顔出し動画一考』のあたりを動画向けに別途現行を用意して語るものなど、色々考えてきたが、ファンの音問題悪化(後日まとめ記事投稿予定)や12月22日の衝突ほか、自分自身が投稿意欲の低いこともあって実現することはないまま、当記事は投稿されるというね。
その反面12月末は、去る1月1日の記事に見るよう猛烈に投稿など行ったし、これで罪滅ぼしとなろう。



ほか、最後に擬古文散文を独創したものが書かれているが、これは12月12日ひいては12月中に書いた。
そして2016年1月中の仏教勉強では漢訳の法句経をも拝読していたが、その12月散文に符合する面白い偈が見られたので、以下に引用する。
法句経教学品に云く「学するに朋類無く、善友を得ざれば、寧ろ獨り善を守れ、愚と偕ならざれ (意訳: 学ぶ上で周囲に仲間や同志など無く、善友も得られなければ、むしろただ独り善であり続けよ、無理に愚か者に親しむな)」と。 
同じく象喩品に云く「寧ろ獨り行きて善を爲せ、愚と侶たらざれ、獨りにして惡を爲さず、象の驚きて自ら護るが如し (パーリ語版1, 2, 3では、愚者と付き合うくらいなら孤独に生きたほうがよい、群れを外れて森にいる象のように欲望を少くして罪を犯さず独り歩め、と意味が取られる)」
※漢訳法句経の訓読文はなぜかネットに存在しないので、自分の浅学で辛うじて読み下した。 それと後者は、「林の中の象」という表現で何らかの作品に使われているそうである。

このことは地味に、小学生のころから気付いていたのかもしれないが、結局は無理やりトモダチを作ろうと骨を砕いていた自分は最も愚かしくも、それありきで今は真摯実直に仏道を進められるのだから、実に有難い。
もちろん、大乗を奉ずる私は、仏の教えを他に弘める役割もしておく。
釈尊も、絶対孤独ということまでは肯定されていないと私は拝察している。
同じ法句経の象喩品やパーリ版330詩篇以後に、やはり周囲に善き人いればそれがとても仏道において良好な環境であると説いてある。
だから、「孤独」でいることを第一義としては、仏教において不義と見る。
2015年2月の記事でも、恩師や学友がいれば良いこと、と開陳していたが、私はこの末代末世において善友・善知識というものに値遇しがたきを憂いつつ、今は気に止めない。

↑の法句経に関する話を書いた日は1月30日であるが、それからまた翌日にもパーリ語の経典とかの調査をした。
ついては、「デザインテスト」ブログの方に外部投稿の移植記事があるので、道心ある方の参照を乞う。