絵 練習 お絵かき お絵描き A4 コピー用紙

今回の掲載範囲は、11月13日~12月31日のA4紙面1枚分であり、2016年1月5日にスキャンした。
この紙で11月に描いたものは3つしかなく、ほかの11月中の絵(主にPC描き)は前回の絵の練習記事の方に別途載せてある。
この紙面1つと予備の情報を扱うだけでも、画像枚数は23枚に達しており、枚数は過去記事中・最多である。

ここで、絵の練習記事の位置付け・意義付けを改めて確認しようと思う。
まず、自分のための記録はもちろん、他者への、といった表面的な活動により、自他に対する素直な心をどれほど保ち、また向上させられるか挑んでいる。
私の活動に無駄は何一つなく、全部で一体であるから、私の活動のうちの何か一つが無駄であれば、それはネット上の私自身が無駄な存在であってリアルの私もまた同じく無駄であり(ネト本リア末・本末不二)、全人類もまた無駄な生物でしかなくなる。
ここまで敷衍すると大仰に思われそうだが、この経過でなくとも最終的には全ての存在や事象は無駄なものでしかなくなる理論に変化はないし、だからこそ同時に、取り立てて無駄な存在もまた一つとして無い、といえる。
いきなり哲学的な話を垂れたが、まあいつも通りの絵の練習記事であるため、肩の力を抜いて漫然とご覧になってほしい。



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・・・モザイクはかかったままだけれども。

まず同じ紙面の絵でも、例の如く線画処理をしたものや、一定の色調補正や加工・文字消しやぼかしを施したものなど、絵ごとに異なっていることを注記する。
どう加工がされているか全てに渡って説明しきらないため、各自の判断に任す。
今回も、日付の昇順で紙面の絵を掲載する。



輝夜 腰を曲げる
11月13日、まずPCで小さく原案をメモし(右上)、次いで紙に詳しく描き替えた輝夜ちゃんである。
こういうポーズに何となく可愛さを覚えてきたが、このように膝の上に手を当てて腰を曲げるポーズ(腹部や股の上などで手を重ねてはいけない)は日本式のお辞儀であることを2016年4月25日にたまたま知った。
その前後の時期にもまた、たまたま西洋人が北朝鮮や日本で腰を曲げて礼をする映像を見たが、彼らは腿の端に手を添えていた。
無論、この子がお辞儀をしていると想定して描いたつもりではない。


人の話 よそ見
11月21日、日記メモ啓発月間中の記事にも載せてあるが、右上に同じく原案のメモ絵を載せ、その完成版として紙に描き移してある。
絵の詳細や描いた経緯は、同日記事・同日メモに書かれる通りである。
また、同じく記述されるよう、やや髪を伸ばして腹をスッキリさせるなどして外見をいくらか美化しており、本来は着いてない髪飾りも書き加えてあるが、服装は大体このようである。
さて、各パーツの色合いなどはどのようであろうか?
詳細に言えば、長袖の白いシャツ類に、濃い灰色のような随分と短いパンツを穿き、ピンクのサンダル(スニーカーにも見える)を履いていた。
なお、右下には別の絵の「脇メモ」が書いてあったが、これを除き、絵の直下にあった字の練習を移した。
「窺」という字の下部を「規」でなく「猊(貌?)」と書き誤ったため、違いを示している。


女児
2016年6月12・13日にこの絵を塗ろうと、試作する程度の気分で始めた。
しかし、線の修正など、その時その時で手を加えたい発想が浮かんでくるため、思いの外、時間をかけた。
試作であるから、色のバランスなどは、この際なんでもよい、としている。
なお、色塗りに利用したソフトAzPについては・・・。


髪 布施 供養
11月26日、自身の髪の毛を、何らかの目的に沿って渡しながら照れる、私のスウェットと似た格好をした私ほどの髪の長さの誰かさんを描いた。
何が何やら、周りに色々と文字が見えるが、絵とどう関係するかは説明を省くので各自の解釈に委ねる。


kijoi loli nakadashi
12月10日、アレ最中の絵と、続いて事後のシーンとして「腹に倒れ込み肩に手を置く」という、絵を描く以前の自分からの指定があるため、その通りに描いてある。
アレ最中の絵で、キャラの左手は描き切っていないが、練習や学習目的のために片方のみを、そう残した。
事後のシーンの絵・・・着衣にも見えるし裸体にも見え、はっきりとしない。


絵 目隠し
12月11日、絵を描いた当初の自分が「小指で目隠し」という指示を、脇メモとして書き残していたため、当記事への掲載にあたり、スキャンされた絵をPCモニタから人差し指で目隠しをする写真を撮った。
絵の雰囲気については私の説明を受けず、感じ取ってもらいたい。


ペロペロ ジュポッ ジュポォ ヂュポッ ジュルジュル ズルズル
12月14日、ペロペロヂュポッ!ジュルジュル・・・

ロリ 萌え 顔 線画
12月14日に紙に描いた絵を2016年1月にスキャンして即日か翌日、色調の変更などをし(左)、その日のうちかまた別の日か分からないが、別の表情のバージョンを作成した(右)。
左と右の相違点は表情に限らず、襟の乱れや首の位置などもいじってあるから、所々で違いが出ている。
右の手前に下がっている髪の途中の黒い塊はシャツの襟であるが、このように被るため、知らないと違和感を覚えるが、一応、構造上は必要なのでいじっていない。


うさぎ 主人 マスター
12月15日、ご主人様ラブ(?)主人に従順(?)なうさぎの娘か誰かさんを描いた。
何の影響か不明だが、うさぎ風味の顔・髪型は、こういう印象もある。
二次とか萌え系でうさぎキャラを想像する場合、外見の特徴は上掲の絵のパターンか、更に某方の永に見られるパターン2種の内、バニーガール的な長身長髪と、子ウサギ的なロリ系などがあるよう、私は分析している。
この3種の内、やはり上掲の絵で想像したイメージによく合う(私の絵での再現性が不十分のため私の絵と必ずしも酷似しない)イラストを2016年5月17日に見た(元の作品も先に同日知ったが同作品では2016年1月25日ころ初登場らしい、なお現在も未プレイ)。
うさぎの耳は描かれないキャラながら、絵師が「うさ」と名を冠していたため、やはり私の思う萌え系うさぎキャラの一例と同様のイメージ(あるいはうさぎ=目が丸くて大きいとか)を持つ人もいる様子であろう。
その人々が、どのような作品やキャラや画風に影響を受けたかも不明である。
※もっとも同絵師は現在の絵柄までに多少の変遷を伴っている様子だが、それこそ正にうさぎ派のなるべき画風として成立したと見る。


うさぎキャラ 顔 イメージ
2016年5月22日になって再度確認したため、同日、件のイラストなどを参考にして元のイメージに近づけた修正を行い、その絵を掲載する。
右脇に、2015年6・7月ころに描いたと見られる、同じ「イメージ」に当たる顔(口で下端が切れる)も載せた。
ところで、一部の萌え系やうさぎキャラは歯が強調して描かれる傾向もあり、これを上手く真似ようとも試み、かなり難しかったが、その結果も残した。


ツインテール お下げ 絵
12月20日、上下の絵のうち下の大きい方を先に描いた。
2010年末のころに何らかのアダルトゲームの宣伝コピーが描かれた画像を見た記憶に基づき、登場キャラクターを描いた(キャラ名は薄らと覚えていた)。
ロリ系で髪の色は○○○、髪型がツインテールというよりもお下げの系統であった。
表情まで記憶に基づいて再現したが、どうにも似ない。
そのように記憶を辿って描き終えてから、宣伝コピーの断片的に記憶しているワードを並べて検索をしたところ、まさに同じ作品(2009年作)が結果にヒットした。

代わって上の小さい方は、普通のツインテールの少女のイメージを描いた。
同日はこのほかに「垂れサイド(テール)」とするメモ絵も描いていた。
念のために言うと、ここまで同じ紙の絵をすべて載せたわけではないし、載せなかった絵についての説明もほとんど省略してきた。
特に、12月14日は掲載済みの2つ以外にも中小サイズ計6つの絵を描いた。


ファミレス 食後 注文
12月21日の夜、あの衝突前夜に描いた絵であるから忌々しき因縁を感じている。
描いた当初は良作と見ても、忌々しいから切り抜きだけをした編集に留めようと思ったが、一応は諸君の閲覧用に色調を整えておいた。
絵といっても、ご覧の通りいつものメモ絵や練習絵とは少し違い、これはマンガであるが、右上から縦に読む4コマを構成している(編集で縦1列としてもよいが当記事ではせず)。
自分の昔話の回想か何かから転じてこれを描き上げた。
ストーリーは実話に沿っており、登場する3人(小6の私・母・店員)の外見も記憶に近づけておいた。
コマ割りは4コマであるが、実寸としては1コマが縦35mm, 横55mmであり、このような長さの規定を設けたとおり、普段の線の引き方と違って定規を用いている。

マンガのストーリー自体の詳述は省くが、実話たるバックストーリーに関する脇メモをここに写す(カッコ内注)。
「變なる拘泥(こだわり)が爲に恥を塗られぬ(終止形だから過去完了の助動詞"ぬ")、母惱乱せり 詳細に傳へぬ過失あり・・・時に2008年8月頃か將又。母との久しき再會の折、近場のファミレスにて食事となる。ソテーを食後に食べんとの旨を母に傳ふるも誤解され、ファミレス流儀に乖く頼みをされちまつた。本當は食後に再度注文をし直す形を願ひてをりたるが、斯くせられて悶絶し畢んぬ。」
※そのような誤解の注文の仕方をした母親ですら、店員に困った弁明と、退店後に私へ小言をこぼしていた。子供の自分には全て適切な返答ができず、歯痒く思った


19 kubi
12月26日、先んじて12月2日にPCで描いたメモ絵を1.5倍(150%表示)のサイズでプレビューし、紙にトレスした。
これは脇メモの記録であり、同じく脇メモには「何かに似ていると思ったら後藤さん(2015年2月にISIS支配領内で殺害された日本人)の最期みたい」と所感が書かれる。
実際のところ、この絵がどういうシーンであるかは、見た人の印象に任す。


1pc
ついでに、こちらのPC描きの右下のものが12月2日の原案メモ絵に当たる。
胴体は一応描いてあるようだが、このグチャグチャとは・・・。
ほかのものはオマケであるが、グレーバックのものは11月19日、右上のものは11月21日に描いたそうである。
一番右上の隅にある長い二本の棒などは・・・横スクロールゲームで上に登ってゆくステージだと思ってほしい。
そうと仮定して、なぜそんな絵を描いたか、までは考えなくてもよい。

11~12月メモ「下僕が、痰で俺のアナルをぬめらせ、俺の中に注射器を挿して注入した水を、下僕の顔に発射して浴びせたい」


KGYさん
12月26日、再びKGYさんである。
先に「省略してきた」12月14日の絵のうち、メモ絵一つをついでながら右上に載せた。


19ud
12月26日、アレのアレっぽい娘が、アレの属性に反するポーズを取った絵である。
アレの属性とは無論アレだが、それを明示する要素(耳とか)は描いていない。
PCでは主に、本人の右手のサイズや形状(指の生え方や曲がり方)を調整した。
この絵の上方には12月20日の4コマ漫画があり、頭を描き切るわけにはいかなかったが、それは先のKGYさんの絵でも同じことで、そちらはPCの方で頭頂の線を加えて調整した。
それにしても額が長いように思う。


19 1228
12月28日の絵のうち、2つを同時に載せる。
左のものは横を向いた私の姿、右のものは目つきや髪質の趣向を変えた「いつもの子」とされる。


19 shiyuiokusokaichin
こちらも12月28日である。
右の子は何か神妙な面持ちで「思惟・憶想・開陳」しているそうである。
左の同じ子は何か無表情で物体を手に持っている。
矢印のような線もその手の右下に見えるが、これは単なるメモであり、消さずにおいた。
一方、絵の周囲には、ぼかし・モザイクなどによって脇メモの文字やメモ絵などが読めない処理を施してある。


16-2e
こちらは、左の絵を左右反転し、目を閉じ、矢印に従って胴体側に寄せるなど、多々修正したものである。
沈黙、クールな可愛さがある。
この加工を行った時期は、当該紙面をスキャンした2016年1月5日から日の浅いころであろう。
まあ、画像のプロパティから、加工版の作成日時などを参照すればよいが、Win7機で加工したため、2016年4月中のWin10機へのバックアップ時に作成日時が変更されてしまい、Win7機で確認しないと特定できない。
更新日時であればWin10機にも残り、最後の修正・保存日であり、これは2016年1月28日とある。
※後々、別の調査をする折に1月23日ころと特定できた。


19nyuhu
12月30日、「ニュフッ」


16
12月31日、大晦日の夜に描いたこの絵を以てA4の紙1枚がびっしりと埋まった。
この加工はスキャンした即日・1月5日に行ったようである。
当記事の途中からの本格着手が2016年5月以降であることは今までの絵の別バージョンだとかで想像が付くと思うが、その5・6月現在にこれを再度見直し、色々と修正したい要素はあるが、一応はこれ以上に手を加えず、ここに掲載しておく。

それにしても、なぜ下着のパンツ状態なのかといえば、下半身はスカート系にすべきかズボン系にすべきか迷った末に書き加えないでおいた。
後の4月15日に描いた同じ子の絵にしても、最初は迷って同日は何も穿かせなかったが、4月25日に再度手を加えるにあたってスカートを書き加えた。
この子はそもそも性別をはっきりさせない上に、過去にはズボン系(○○パンツ)を履かせた経緯もあるが、4月25日は便宜上スカートでもよいと思ってスカートを選択した。
みだりに衣装の種類を増やさない方が、私の道義に適う。増やすと悖る。
比丘に三衣があるようなもので、この子に関しても贅沢な衣装は抑えておきたい。
服装の威儀などは制定する。
ちなみに、パンツさらしは、やはり公序良俗の観点でどうのこうの、であるからして、威儀を乱す過失があり・・・。

2015121707





最近のメモ帳更新一覧
6月13日 http://lesbophilia.blogspot.com/2016/06/ruiju-7.html

6月20日 http://lesbophilia.blogspot.com/2016/06/19.html
 


最新投稿動画
6月10日 http://www.youtube.com/watch?v=esw75AMskZg


絵の練習の美学について少々述べたい。
世間の人が絵の練習をする姿勢には、大別して4通りがあろう。
精神性に2種、方法論に2種があり、その組み合わせが4通りとなる。

まず、精神性の2種を開陳すれば、「上手くなって(何らかの)成功を果たす」という思い思いの野心のもとに効率を重んじるパターンと、ただ描きたいので自然とその意に随って描くパターンとがある。
方法論の2種を開陳すれば、ひたすら多く描いて練習するパターンと、少量に時間をかけて描いて練習するパターンとがある。

私はそれらの2+2種の4通りのうち、精神性は後者、方法論も後者であるような、極めて「スロー(多義)」な立場にある。
つまり、意のままに、案がまとまったときに絵を描くが、普段からもイラストなどを意識しながら観察し、深く思惟して理想的な象形をまとめる。
もっともらしく述べてみたが、完璧にイメージ通りの絵・・・もとい線画が描けることもなければ、色塗りの練習もあんまり行わないできている。
無論、マウス環境や、現況のノートPC付属タッチパッド環境(後の絵の練習記事に詳述する予定)においてデジタル色塗りは困難であり、アナログ方面でも塗る道具に欠いているが、今更何ら悩む問題でもない。
これらの道具や環境に、もはやケチをつける気概はなく、慎ましい私の向上心の中では不足もなかろう。
その慎ましさとは、本来の日本人の「和」であり、既成事実たる現状を維持したままどれほど改善できるか、という漸進主義ともいう。
本心からそのように鷹揚でいられれば、その環境が下人のようでも、心の境地は聖人のようではないか。
既成事実=「問うても結果論」であり、仮に良い道具を得ることがあれば、それも既成事実として受容するが、そのような経緯で良い道具を得ることが自然性であり、真面目に道を行く人が蓋然的に至る点でもあるから、仮に良い道具が欲しくとも、求めないでやっているうちに自然と得られる機会が「蓋然的」にはあろう、とだけ思う。

私とは反対に、プロ志望の人は徹底的に描く。
トレス・模写・同じ絵を何度も描き直すなど、徹底的に描く方法を採る。
さながら学校教育の詰め込み・丸暗記のように合理的で効率的でマニュアル的であり、そういった業界に進出する方法論として打算的であろう。
当然、道具が最低限揃っている環境も大前提となる。
マニュアル的に行うならば、良いペンタブ・良い描画ソフトは必須であろう。
最初は廉価品や中古品でも受容するかもしれないが、いつか得んとする高価な道具ほど間違いなく成長を支え、プロとして通用するための必須アイテムであるとみな信じている。
「カンペキ・さいきょうのマニュアルに従って駒を進め、少しでも違ってしまえば失敗する」との観念を持つ。
思想区分でいえば、現代的合理主義や急進的思想であり、物質的で外的な要素を重視する現実主義である。

私としても、良い道具は無いに越したことは無いようにも思うが、今の私はまだこの環境で耐え忍び・・・これからも良い道具などが揃うことは無いから、良い道具の価値を認めるのみとし、求めはしないでおこう。
絵や音楽という趣味は私にとり、仮にも心の大地を潤す雨の一滴だと思う。
何も、多くの高邁なる絵師がた、作曲家がたと同様の状態に並ぶべき必要性はないようである。
かえって、「過酷な状況が才能を輝かす」との逆説を唱える者も世の中に多い。