皇紀2676年 新春を寿ぎ奉る
挨拶動画→https://www.youtube.com/watch?v=ojK8GB3NW7w

謹みて新年を賀するなり。
本年はますます道心を堅固に、菩提心を倍増して、日々に忍辱と研鑽に励む志を高くせねばならない。
創作関係では、早期に傑作を生み出す必要がある。
聖人は死ぬまでに本懐を成就した。
自分はたったの18歳(2016年1月中に19歳となる)であるけれど、「短きが故の奮闘あらん」ことは最近の擬古文・散文の中に見るので、しばし熟読されたい。

12月20日の散文
私は孝子として、父母の魯鈍なるを速やかに度さんがために思惟し、記録し、諫言を繰る。
非人貧道の身で、民衆と国家と世界に最高の忠言をなさんがために、種々の情報を布衍す。
悪業深きの故に、寿命久しからずと雖も、久しからぬ故に、一生を捨つる勇猛心あらんか。
願わくは速やかに本懐を成就せんことを。


12月22日の散文 (同日11時の衝突に発端するもの、日記メモ参照)
平成27年12月22日、御勘気を蒙りて明日に家を追わる。
岩の音に向かいて、そこにてか死なん。
隠るる地を得てついのすみかも定まらん。
「筵を撫でて 色抜くるまで」と歌いしは虚妄なりや如何。

※「岩の音」は「岩○という場所にある○音」である。そこでアレ12を読みたい。



12月25日16時頃の紙背返書(当日の日記メモに詳細)、1月2日に渡す予定
平成廿七年十二月二十五日 未の刻 之を奉戴す
承前
私は我が菩提の為にとて、寧ろ徹底制裁の強制追放をされることも吝かでない。
日蓮大聖人は、護法のため身命を抛つ首の座を「さいわひなるかな」と喜ばれた。
私へ、去る十二月二十二日の衝突時ににそうしてくれればまだ締りがあった(同日メモ*にも同様の思いを綴る)。
これほどに不徹底で中途半端な処置があるのでは、己心蓮華の開花も久しく望めない。
紙背に返書をしている。
資金援助を来年3月までする、等のことが書いてあるが、今更あなたの望むことにも遊興にも散財すること能わぬ身には、余るばかりである。

最善は、この家での養生・涵養であり、従来どおりの生活である。
ここで細々と生きながらえる中で漸次道を究めるのが本望である。
「社会に出て全力で」云々と書かれているが、"社会"という舞台に私の出る幕は無く、この部屋で"全力"全身全霊の創作・研鑽をしているが、返す返すも口惜しく思う。
その旨は2013年から幾たびも告げたが、今ではその気概を失った。
本質的に怠惰なる人間は世間に広く蔓延ること海中の沙の如くあれ、私は金に変じようとしている。
私を社会のドブに入れようとすることは摧尊入卑よろしく、稀少の宝を濫りに汚そうとするに等しい。

本文中「道」や「創作・研鑽」に関しては、その精神活動に疎いあなたに語るものではないので、詳細に語らず。 
同じき申の刻 之を認む 右を謹んで上申す 於平成廿八年一月二日

※背景については12月22・25日の両メモに見るところである。



12月28日に取った思考メモ
同じ家に5年と住むことのない惨めな半生で、ようやく生涯かけて学べそうな学問にあえても、且つは半可通のまま悦びを味わい、且つは死活問題の頻発により憂う。
PC問題に手を焼く折の母との衝突は、いわば首を絞められながら腹部を殴打されるまでの致死性を生む。
ワガヒビハヒサシカルベシクロカミノムシロヲナデテイロヌクルマデ
19歳の節目は、釈尊が出家した如く(誤り、10年早かった)、私の転換期となるか、はたまた死期となるか。
もっとも、14歳であった2011年4月18日に家出したから今の生活があるのだが。



12月29日の思考メモ
死期が近いからこそ頑張る。
今まで識らずにダラダラと過ごしていたのであるが、知覚してきたからには非常事態にもめげずに貫こう。
せめて1ヶ月の間は、創作関係などでも大詰めとなっており、くたばるわけにはいかない。
加護があれば今の状態を逆転・挽回できるかもしれないが、それは結果としてある程度に思っておく。
また、死ぬということも自ら願って臨むのではなく、結果としてあるものと思う。
だから何としても最期までこれを貫き通す必要がある。






最近のメモ帳更新一覧
12月20日 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/12/4.html

12月25日 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/12/ruiju-5.html

12月30日 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/12/6.html

※いずれも回聚率が低い類聚記事、あとパーマリンクが不安定


最新投稿動画
12月17日 http://www.youtube.com/watch?v=WGVKFMofatY
12月28日 http://www.youtube.com/watch?v=z2ruqB1i0Sw
12月30日 http://www.youtube.com/watch?v=QPQNXv_bu5Q
12月30日 http://www.youtube.com/watch?v=wsNXTg-iK3k
12月31日 http://www.youtube.com/watch?v=Ve3krVxVeQI
01月01日 http://www.youtube.com/watch?v=ojK8GB3NW7w

※私の唱えるところの美学は、ことごとく実行あるものと証明されたね!



年末はこの苦難の中に創作関係の大詰め、色々と手を出していた。
29日の思考メモにいうところの作業は、某サイトの作曲関係である。
新年も、12月分の日記メモまとめ記事を作ることでまた急ぐこととなるが、その投稿以後はある程度やわらぐ。

メモ帳における下書き記事が大量にあり、22日の衝突以前の方針として1月いっぱいはのんびりする気でいるが、緊急時には高頻度で投稿する必要がある。
作曲活動にしても、残り短いかもしれない自分の活動で、そろそろ秘密にしていた多くの楽曲を解放公開する必要がありそうなので、検討している。
労も苦も厭わず、徹底できればよいものと思う。
残すは、後生に善き處へ導かれることを期するのみである。

あきらけくざえすぐれたるものなれどまれにあだなるしかもありなむ
(明らかに才能が輝く人であっても、稀に不可解で惜しい死があったのかもしれない)



大晦日の歌
先んじて2015年10月に音楽が作られ、まさに平成廿七年の大晦日にこれを作して詠む。
その歌詞は、音楽のメロディと調和する音韻となるよう、また和歌であるから和語のみで構成される。
「風に乗せらる。年の瀬に、悔いは除こる。行く年の、
憂ひも消えて、巡るらむ。年の来たれる、大晦日。」(文脈により句読点を挿入)

文法注釈、乗せらる=文語終止形だから、これで一文となる。「悔い」の終止形は「悔ゆ」、「消え」の終止形は「消ゆ」であるから、歴史的仮名遣いは「悔い・消え」でよく、は行で綴ることは類推となる。


大晦日っぽい自作曲 「大晦日の歌」のワンフレーズをいじって尺八で鳴らした→その後、12月31日13時になって「大晦日の歌」の終わりにくっつけた。