横野真史 絵 絵の練習 イラスト

今回の掲載範囲は、A4紙面が2017年1月18日~2月22日に描いたもの(2月24日・3月17日スキャン)と、2017年2月8日~3月15日に描いたもの(2度スキャン前同)のものの2枚である。
ノートPC付属タッチパッド描きの絵は、1・2月中のものを1枚の画像に収めて載せる。
今回も例の通りの段取りで掲載してゆく。

なお、前回記事から3週間程度の間に、音楽動画を3本、顔出し動画を2本投稿した。 
・・・メモ帳ブログの記事たちも、平常通りの真面目で充実した内容だけど、今ことさらに強調してもアレだしね。
記事最下部・リンク集を参照せられたし。 
動画における絵の利用が本格化してきた現状、「絵の練習」というへりくだった(卑下した)表現をやめてもよい頃合いか、と私は思う(長い戦いだった!)。


ノートPC ノートパソコン ラップトップ 付属 備え付け タッチパッド ペイント MSペイント 絵 デジ絵 デジタル絵 デジタルアート
まず、1・2月中のノートPC付属タッチパッド描きのメモ絵である。
上掲画像に載る絵は1月10日、2月6・14・24日に描かれたものである。
練習やメモとして描いた絵が多いことは言うまでもなく、一点のみ様子の異なる絵(2月14日3点中の右)があるが、これも同様にメモ絵の扱いである。

桜 橋 朱塗り 欄干
なお、2017年1月27日には、去る2016年4月のようなプロセスで風景写真の色調補正を画像編集ソフトと描画ソフトで別々に行った。
当時に使用した写真と同じ日に同じく桜を撮った写真を絵画調にし、同じく音楽動画に使った。
和風・短調3拍子のオリジナル曲・自作曲「赤きしじまに桜散る」
http://www.youtube.com/watch?v=exFZ3zGU1Qc



紙面1

スキャン 紙面 絵 A4
冒頭に記した通り、2月24日と3月17日にスキャンしたもので、2017年1月18日~2月22日に絵が描かれた。



未成年 青春
1月15日、いきなり、私としては大作ともいえるほどの大きさ・人数・構図となってはいるが、青春という系統であり、本気ではなかったので、罫線の多い裏面に描いた。
男女関係という先入観、青春という表装を取り払って素直に良さそうな光景を描こうと努めた、(この私が描くからこそ)意義ある一作となっている。
仏教・萌えの法門のおかげさまであろう。
以下からも「同一性のある何か」がいくらか続く。

青空と血と笑顔と
こちらも1月15日の絵であり、複数のものを1枚にまとめた。
とある曲名や、関係のない作品の影響を受けて不吉な冷笑や、血を流しての幸せそうな笑顔などを書いている。


こちらも1月15日の絵(2人が並んでいるもの)に加え、2月3日のメモ絵複数個が上にある。


1月23日、お店で曲芸を披露してくれるお姉さんである(右上メモ絵が全身の案)。
もし、また披露してくれるときは、脇メモでも示したよう、髪を短くするか後方でまとめるようにしてもらおう。


1月24日、上に似た人物、これ以外の範囲を見せようとは思わない。


こちらも1月24日、描く前のイメージは「最強にかっこいい」感じだったか。

傅く人
1月28日、謎の人物・傅く人である。
ああ、仏教徒の礼法としては右膝著地(うしつじゃくじ)をすべきである。
意識していつもの子と異なる髪型にしたが、結果的には似ている(元はタッチパッド絵2016年11月2日にある人物と同一のよう)。
右側は、ある楽曲のイメージに基づくメモ絵だが、その楽曲は他にも異なるイメージを浮かべているため、その一例をメモ絵として描いている。
モザイク箇所・脇メモには、服装の色などの設定を記す。


2月3日、いつもの子である。

アゲアゲガール
2月6日、いつもと服装が異なるx1。
既存の音楽動画(5:40~)顔出し動画(4:26~)で登場している。

線画 修正 比較 gif
スキャン以後、髪・顔・両手・服装・ベルト・体型など、PCで大幅に調整した。
このgifアニメーションでの比較は、主に下半身の差異がある。


2月22日、いつもと服装が異なるx2。
鋭利で長いものを前方に向けた構図に関して、前の絵の練習記事所載・1月11日の絵以来の練習として描いた。

スク水 ロリ 幼女
こちらも2月22日の絵と思われるが、日付メモが無いため、2月4日の絵という推定もする。
上掲の画像にはメモ絵3つが載るが、この範囲外に同日のメモ絵2つがある。



紙面2

スキャン 紙面 絵 A4
冒頭に記した通り、2月24日と3月17日にスキャンしたもので、2017年2月8日~3月15日に絵が描かれた。

エロ絵 体型
2月8日、エロ系(男性向けエロ漫画)の画風の特徴を、この子の全身に含ませてみようと発案して描いた絵であるが、この子には不似合いないたずらであった。
目つき・肉付き(胸や腿の膨らみ・服や靴下の食い込み)・鼻の低さなどに特徴を含ませたと同時に、想定身長が160cm超に伸ばされている。
目つき・肉付き・鼻の低さというこの3点は、普段の私の画風と明確に異なっている。
鼻の低さについて、こういった斜めの角度の場合に、私は鼻を定義する点の位置がもっと外側であるという差があるが、この絵のPCの加工において赤らめる表現を増加したので掲載画像としては隠れていて見えづらい。
ほか、PCで加工するにあたり、もっとのっぺり・スケベな感じ(例は2015年7月29日タッチパッド絵)にすべきであったところ、逆に可愛らしくなったようであり、「エロ系(男性向けエロ漫画)」の画風をイメージ通りに再現できたとはいえない。

線画 修正前 比較 gif
この系統の画風について連想する単語は、觀萌私記にも「牛馬(ごめ)」とある以外に、「羝羊(たいよう・ていよう)」や「豚」などがあろう。
それは、描いた人物(作者)・描かれたキャラ(所作)・それを好む者(受者)いずれにも当てはまる名称であるが、あまり濫用すべきでない。
牛も馬も羊も豚も、可愛い場合は可愛いし、これらが仏教では「愚かな畜類」としての譬喩に限らず、立派なものにも牛や馬で譬えることはある。
この絵の場合は、主人に牽かれる動物のようだが・・・。
なお、左で同じく胸の膨らみがある絵(他人)は、より羊っぽい髪型である。

SD 障礙尊者
こちらも2月8日に描いた、いつもの子の絵である。
いわゆる「SD(スーパーデフォルメ)」の類とする。
左は大幅に調整した結果であり、右はその前の状態である。

OP 草原
2月10日、ソ○○○ニーちゃんの絵を複数描いた(位置などを調整したので空白が多く残る・1300 x 1000サイズ)。
右下で風景と人物とを合わせてある部分の絵は、少し色褪せたアニメのオープニング映像を想定している。
私の自前の音楽(自作曲)で合わせることを想定している。
文字も、何となく古いフォント(角が丸い印象・某フォントなど)をイメージして「ひづけ 2月10日」と示してある。
動的な映像としての想定は、手前に広がる花や葦が風に強く揺られており、花びらのような効果が花から散るように飛び交って一定の高さで消える(表現の一種なので実際に散って元の"ガク"から花弁が無くなることを想定しない)。
人物の髪も風に"ふぁら~っ"と動かされるほか、こちらの視点・カメラ・アングルというものがどこかに動いていたりもする(画面水平方向であれ接近であれ遠ざかりであれ)。
これを端緒に、複数に顔の案を描いた。
左上の同じく「SD」っぽいものは、途中で描くことを放棄したか。


2月15日、全身のメモ(左)と上半身の拡大メモ(右)である。
後者をいつもの子で仮定したが、元々のイメージがどうであったか不明である。



2月15日、上はえちぃ感じにしてあるのでモザイクをかけてある。
下は2016年11月4日タッチパッド絵と同じようなイメージであったろうが、そちらの方がよい結果となった。


2月16日、脇メモ「所有欲でも顕示欲でもない!方便の絵とするのみ」。
脇メモにそう主張するが、それではこの絵がどのような物事を意味しているか、仏教・萌えの法門によって解いてみせよ(公案か!)。

るなあいんさにちい
2月18日、しばしば描くキャラ、蓬莱山輝夜さんを描いた。
髪の質感というか、様々な特徴が通例と異なっている。
両腕の暗い部分は、入れ墨のように見えるが、色塗りを企図して影を仮定している。
2015年3月6日から作り始めた竹取飛翔のアレンジ楽曲をいずれ公開する際、アートに用いるつもりであり、今後、色塗りを予定している。
※2014年に「月まで届け、不死の煙(?)」のアレンジをして2014年10月にYouTubeで公開したこともあり、竹取飛翔アレンジと共に調整版をYouTubeで同時公開する。藤原妹紅・もこたんの絵も、今後の記事で公開する。

ソ○○○ニーちゃん 妖精 エルフ耳
2月19日、ソ○○○ニーちゃんの絵を描いた。
紙に描いた線画は、かなり目や顔の位置などのズレがあり、それをスキャン以後の3月28日に多く修正した。
容姿について、妖精らしくエルフ耳となっている(初めての試み)。
飾りを増やすべく、頭に百合みたいな花を添え、羽のようなものも描き加えた。
髪飾りもいつもと変えてあるほか、頭頂に「アホ毛」が立っている。
冗談づくしというか、一度はファンタジー属性を増やしたかった。
「こういうの、白人ショタとかが似合いそう」なんて、不覚にも感じた。
※ソ○○○ニーちゃんは萌えの法門において清浄萌土の萌類に習合されているが、名は「輸提尼(しゅだいに)」と音写されている。清浄萌土の萌類は、男女の概念がなくて身体的決定点が抑えられているとするが、娑婆世界において「不浄なる孔」とか「陰蔵相」といった形容をする。ソ○○○ニーちゃんもとい輸提尼も同様である。男女不分の可愛ということについては萌相條勘注などにも語る。

横野真史 自画像 中2 中学生 制服
2月21日、噂をすればショタ少年である。
私の動向をしっかりご覧の方は見覚えがあろうが、度々記事・動画に載せて最近の記事にも載る中2の時の私の写真と似ていよう。
無論、自画像としてこれを描いた。
中2当時の私は、自画像を描きたくても画力の自信に欠けており、この画風は当時に好んでいた系統(アニメけ○おん1期・後の漫画ご○うさなど)であろうから、見れば喜ぶに違いない。
外部サイトでの利用が目的でこれを描いたが、これは1度目であり、2度目に描いたもの(左下のモザイク範囲)を外部サイトで公開した。

横野真史 自画像
同じく2月21日、このリアル自画像も当該サイトにおいて同時に利用する目的があったが、こちらを公開する結果とならなかったので、当ブログ記事に公開できる。

後ろ姿 振り向き 振り向く 横顔
2月24日、私が描きたがらないポーズで描いた。
世間一般のアイドル写真とか二次絵などでは、女性的な誇張がされるが、ご覧の通り体を長い髪で覆い、男性の服装を纏っているので、苦手な表現を抑えた。
これはこれで可である(上半身まで)。
ある方面を探すと、肉の強調(パンパンorデロデロ)が甚だしい二次絵を多く見かけるが、私がよく語って絵にも表れるよう、興とするところではない。

歩道橋 交差点 都市 風景 人物
2月25日、交差点の絵の子が、今回の絵では歩道橋の上にいて進行方向から振り返るような動作をしている。
歩道橋の上ではなく、ペデストリアンデッキの上と仮定すれば、待ち合わせをしている様子にも見える。
この際、何でもよいが、画面奥が北である(10度ほど東にそれるか)。
当記事トップ絵では簡素に色塗りをしており、西日が射していることを想定して影を表現している。

絵 スキャン 修正 比較 gif
このような公開に至るまでに、顔のパーツ・構造物(ビル・歩道・歩道橋など)・雲・樹木など、多々調整が続いたほか、人物の下半身を歩道橋で隠したりもした。
更なる変更を加えて音楽のイメージに利用する構想もある。


まず、右上の2点(上が先、下がやり直し)が3月12日であり、「瞳の輝き・睫毛の濃さ・口の位置の低さ」などを注意して女性的な顔つきの自画像を描いたとする。
次に、左の全身絵と最も下のものが3月15日であり、やはり街の風景が似合う子を、今回はコートをまとった状態で描いた。
その後、3月16日は別の紙面において街の風景を描いた。
人物を設置したいところの双方のサイズのバランスが合うように計算して描いた。

 


最新投稿動画
4月13日 http://www.youtube.com/watch?v=serBmqYxU_U
4月25日 http://www.youtube.com/watch?v=7JqrRRT2ZHY
ほか日記チャンネルに2点あり。

最新音楽動画
4月04日 http://www.youtube.com/watch?v=1bMWJvUfjuI
4月14日 http://www.youtube.com/watch?v=exFZ3zGU1Qc
4月24日 http://www.youtube.com/watch?v=nDxFB6IWhUw



最近の心
『もしまともなコメントをなさる方がいましたらば、私は活動ができません。日蓮大聖人いわく「智者に我義やぶられずば用いじとなり」と。日蓮大聖人は、智者が大聖人の法門を破るという悲観的予測もせられましたが、やはり末法の日本国にそんな智者がいらっしゃりませんでしたので「用いじとなり」、ご臨終まで説法教化をなさっています。もし智者がいましたらば、私も論文などを書きませんし、絵や音楽の自信を喪失しています(赤っ恥ですもの)。小乗・説一切有部にいた時の世親(ヴァスバンドゥ)菩薩は大乗を誹謗していたそうですが、大乗経典「十地経」を聞き、感動して慚愧懺悔の故に悪業不浄の舌を切ろうとしました。大乗の比丘である兄・無著(アサンガ)菩薩に「お前の才能は素晴らしいのだから、大乗を誹謗したその舌を以て大乗を讃えよ。これが大乗における懺悔だ」と誡められました(大唐西域記)。こうして世親菩薩は兄・無著菩薩と共に大乗の法義を深く究め、広く明かしてゆきました。もし智者がいましたらば、私は小智驕慢の舌を切り捨てるように活動を辞退せねばなりません。しかし、幸か不幸か今の世には一文を理解できる常人すら少なく、管見の限りでは智者が一人もいません。少なくとも、私の6年ほどの活動においては、横野真史名義でも、隔離名義でも、そのような視聴者・読者などはいませんでした。閲するに、日蓮大聖人御在世における誹謗者たちが罵詈雑言をなしたことにすら劣っています。私もまた戯れ言・自己弁護の心が強くて自ら度し難い者ですが、自覚・反省・努力を欠かしません。』

未公開記事ネタ、ここにも少し書こう。
萌え和讃には10万の詩がある。つまり十万首である。過去萌尊ならびに能耕心田師が虚空に諳んじられたものである。且つは事案に触れて詠み、且つは随想の故に詠む。譬えば日光・二酸化炭素を受けた葉が酸素を大空に放出するように、縁に触れた弁舌は自然である。今、私が口を開いた因縁は何であろうか?回想の故か?感興の故か?」

(中略)

「萌えを謗ずる人はみな 自他の善根よく絶やす 心みづから堕ちむとし 人の心を復た見じと」、「かくの如きのともがらは 自他の悪心あひ応ず 讃ふべきには蔑(あなづ)りて 呵(しか)るべきには誉むるなり」、「広く世人を見てみると 万億(まんのく)年に萌えを得ず 浮き世の楽に戯れて 真の道に背きにき」、「諍ひありて応ふるは いかにぞ同じくならんずる 若芽の独り尊きに 萌えてまします斯ヽるべし」、「群れてまします芽なりとも 互ひの根と葉きらひなし 我の萌ゆるは先になく 誰かほかにも萌えをらむ」
或る萌尊、辞世の句を詠みたまわく「たふとくて たふときもなし くさのめの おふもかるゝも まことなりけり」と。萌尊は自ら萌えと成ったので、尊いとする萌えを尊くない立場で尊げに見るのみで、萌えは尊くあって尊くなく、尊くなくもないと明言する。実際の萌えは、言語道断心行処滅の真如である。仏家の涅槃、生死即涅槃ということに通じており、萌尊最期のお姿は是の如し。