輸提尼

今回の掲載範囲は、A4紙面が2017年7月22日~10月7日に描いたもの(10月6日・11月27日スキャン)の1枚である。
ノートPC付属タッチパッド描きの絵は、8・9月中のものを1枚の画像に収めて載せる。
記事・動画コンテンツを意識して新たに塗った絵なども載せる。
今回も例の通りの段取りで掲載してゆく。

さて、表題にあるよう、前回2017年10月12日投稿の記事(絵の練習記事ごとでは2017年9月12日記事)より間を空けた投稿となる。
私の心身・昨今の傾向に関しては、各月・日記メモの記述が参考になろう。
11月記事→http://lesbophilia.blogspot.com/2017/12/plus-nov-2017.html
※まともな読者であれば当然チェック済であろうが、そんな読者はいないので改まって示す。しかし、示したところで普通の読者がいないので誰も見なかろう。いつもの話であり、また、自分の活動において他者の善悪を気にしていては、何も出来ない。人生・他者を思いやっても、雲集霧散・夢幻泡影だったと散々知っているのに。



タッチパッド絵
8・9月に描いた、ノートPCタッチパッド絵3日分である。
8月11日に人物2名と謎の物体と内の動物の絵を描き、9月4日に障礙尊者の絵2点+体メモ絵2点+顔メモ絵1点を描き、9月30日に顔メモ絵3点を描いた。
粗いモザイク範囲に書いてある文字とは・・・。

ノートPC ノートパソコン ラップトップ 付属 備え付け タッチパッド ペイント MSペイント 絵 デジ絵 デジタル絵 デジタルアート
11月16日からPCで描き始めた絵である。
音楽動画でアートとして用いる目的による(2017年11月は当年例月と異なって音楽動画投稿がそれ1本限り)。
この絵は人物+風景の絵として最初から最後までノートパソコン付属タッチパッドでのみ描いた。
スキャン絵や写真の加工といった手段を用いていないということである。
絵の内容としては、場所が紅葉の広がる山・丘陵であり、手前の人物(左)が葉を手にして浮遊し、遠方にソ○○○ニーちゃんの姿の巨大な像(右)がある。
広く紅葉が舞っており、人物が手にする葉と種類が同じカエデ(日本・アジア品種)であり、イチョウやケヤキがあってもよかろうとは思ったが、カエデに統一した。
人物が手にする葉は、浮遊能力のあるものと想定されたが、どうせならばもう少し納得できる設定にしようと思う。
※物理的・科学的に考察すべきでない。例えば「手の葉の浮遊能力が強すぎて普通の握力では握っていられない」等である。この場合は「この葉を持つ間は空を飛んでいるような仮想体験(VR的な)ができる」と言ってもよいが、後述する事柄からしてもそうでない。

つまり、絵の世界がイデオフォノトピアであり、手の葉は、手前の人物・障礙尊者へ拾主が手渡したものである。
手渡す際に理法・行法を説いたので、僧侶による仏像の開眼供養で魂が入るように、一種の神秘性(それは心の想念に基づくもので理法においては妄想モウゾウとも言われるが初心の仏教徒においては同じく釈尊が比丘へ為したように大事なこと)が具わっている。
葉は念(意識を集中すること)の基準であり、握った手に念を懸けたまま、思って上昇・滞空したり、3D CGゲームのように多方に飛行できるとする(イデオフォノトピアでの出来事なので意味するところは推して知るべし)。
※神通力を用いた禅定の修行ということになる。障礙尊者が初禅の境地で神足通を使いまくりつつ禅の慢心を戒められる話がすでに萌えの典籍に存在している。

仏典に、仏教の沙門でも外道の沙門でも婆羅門でも、空中を飛行することを示してあるが、その訓練がこれである。
彼らは禅定の世界ともいえる領域で、自在の境地を得ているわけだから、このように念力・定力(じょうりき)を鍛えておく必要がある。
念力・定力を失う=心が揺らぐと飛行能力を失う、ということも、仏典には見られる(女人に触れられたとか女性の裸体を見たとか女声を聞いたとか贅沢な食事をしたなどの因縁が示される・大智度論金剛針論後者に引用されるマヌ法典はヒンドゥー教の諸文献にも引用される)。
当然、仏教徒は空を飛びたくて禅定を修行するのでないが、禅定を修行したならば自在の境地となって空も飛べるようなものである(他人の肉眼で実際に見られるかどうかは関係が無い)。
この意味では、「30年童貞のまま生きると魔法が使える」という俗説も真実である。
無論、それは自覚的な梵行に基づいていればそうであろうということだが、30年裸行苦行をしても超人的な境地"uttarimanussadhamma"に達しない(不得過人法)と嘆く外道修行者の存在も示されるように、畢竟心しだい(極度な女性嫌悪や形式的なオナ禁もまた有益でない)。



紙面1

36-22
冒頭に記した通り、2017年10月6日と11月27日にスキャンしたもので、7月22日~10月7日の絵が載る。

1up 0722
7月22日、本萌譚・異伝④ Bhadrārya・跋聖のイメージの絵である。
長髪は個人的な趣味(ただし後述のインド系らしいウェーブ頭髪)であり、袈裟のような衣装を着ている。
過去萌尊の存在を知る者による現代における視覚的表現として、このようにしてみたかった。

萌尊の相貌については好色萌相(三十儀)や清浄萌土衆萌(男女相滅)と同じ立場で説くべきでないが、一応、仏の三十二相が過去世の業・因縁に基づくとパーリ語経典(および阿含)や大智度論などに書いてあるよう、萌尊にもそういった因縁に基づく外見的特徴があることを示してみたいと思う。
例えば、頂髻相(頂上肉髻相)のようなものとして、頭頂部に若芽が萌えている・・・ピクミンかっ!(萌えの応身たるべきことを示現するか)
ただし、過去に挙げたスタンスの一例は「(跋聖と異なる国土・時代の萌尊いわく)當に知るべし、我が弟子よ、我が相好の像を作さざれ。毛髮許りの如くも想はば、自ら慢あるべし。但し宜しきに隨ひて顏の空なるは之を聽す」というもので、ある過去萌尊自ら、萌尊の相貌を描かず・思わずにいるよう制せられた。

1up 0817-0912-16
8月17日、9月12・16日の絵を同時に載せる。
絵の内容について言及せず、読者に察してもらいたいが、一つ関連動画リンクを以下に載せる。
Sumanarathana Thero http://www.youtube.com/watch?v=Nul_w8LB1R4
この3つの日付には、他の絵もあり、後掲する。

1up 0817
8月17日、ソ○○○ニーちゃんの絵であり、一部に消し跡が著しく残った。
7月22日以後の約1か月間にシャープペンシル・紙・消しゴムを扱うことが無かったためか、と見られる。
消しゴムの材質に表面的な変質があったろうか?
長期の放置を経ては、使用前に点検せられたし。

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8月27日、メイド服を着ながら焼き菓子作りをさせられる子の絵である。
7月22日(前回記事所載)に続くものとなるので、そこに背景が詳述された。
絵の外見に関して一言すると、初めに描いた一番右の絵の前髪などの長さが、前回や今回のほかのものと比べて短い(男の子のようにも見える)。

1up 0906
9月6日、強制フォークダンス!>管理楽曲識別番号714
右上の同一人物の顔2点が初めに描かれたが、元のイメージに似なかった。
ほかのものも、みなメモ絵とみなされる。

1up 0908-27
9月8日と9月27日の絵を同時に載せる。
萌えの典籍における拾主が、障礙尊者や輸提尼と共に海にいるとして、過去動画(2017年8月9日投稿)のアートのような障礙尊者と輸提尼の水着姿がある(元の絵は2017年5月6日)ように、拾主にもそういった姿があるべきことを考えた。
リアル世界でなくイデオフォノトピアにおける神通力でここに行くにしても、上半身裸となるべきであろうか?
絵については、顔の練習をする意図が強く、まだ練習段階にあると思う。
PC編集時にも色々と加工したわけだが、顔のイメージに似ない。
体型については、現世の自己の反映と割り切っている以上、理念に背いてマッチョにする気はない(それも色身の神変として実現可能だが>161005超まさしさま)。
※私が半裸で動く姿を撮影した動画がある→http://www.youtube.com/watch?v=d39t9EoTMsc

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9月12日、デザインテストブログに一時的な保管をしている「輸提尼祕密闍多迦ネタ」の絵である。
前回記事・7月20日絵と同一人物のようではあるが、特に一異の定義はないと記憶する。
ただし、刹利種・女人ながらに幼少で学問に関わる設定という観点で、共通点が多いか。
先の絵を描いた際の想定と、記事にする際の説明との間に相違もあろうが、一応、ここでは輸提尼の過去世という点で同一だが、世・生として別物だとしたい。
7月20日絵の人物の髪は、後ろに束ねており、サイドがより短い(サイドの先端を精霊の輸提尼に擬してある)。
この絵の人物の髪は、サイドがより長く、全体的にウェーブ(ウェーヴ)がかかっている(インド系・コーカソイドやオーストラロイドのクセ毛ともいう)。
服装は共に、割と現代的・西洋的なものとした(インド系の衣類は不明・刹利種は綵とでも呼ぶべき絢爛なものとなるか・過去絵には奴婢の子のボロ衣の発想が見られる)。
彼女を如法の行者とすれば、色肌を隠すべきかもしれない(ムスリム女性とか比丘尼とかは腕のみならず頭・顔をも覆ったりするようなもの)。

1up 0912b
9月12日、こちらは「ソ○○○ニーちゃんが看板を掲げる絵」である。
文字のメモとして「一乘一諦(いちじょういったい)」、「एक‍यान‍, एक‍स‍‍ (skt:ekayāna, pl: ekasacca エーカヤーナ・エーカサッチャ)」とある(ekasaccaはskt: ekasatya एक‍स‍त्य‍でもよい)。
「(自分の道や真理が唯一で正しいと真に思うならば)自分の目的のための行動に専念せよ!(それが真の大乗菩薩道や小乗解脱法だ!※真とは諸々の思想家・行者のような顛倒・迷妄が無い境地だから仏が指して指さない非有非無・非実非非実)」とのお釈迦様のメッセージが籠った法華経方便品とスッタ・ニパータ4章12経の類似フレーズより。
SPS: Ekaṃ hi yānaṃ dvitiyaṃ na vidyate
SNP: Ekañhi saccaṃ na dutīyamatthi

仏教のうちの、とある人々(大乗仏教・信仰仏教を誹謗するアレ派)のために、萌えの法門を奉ずる拾主が輸提尼神変を通して小乗・大乗の名言を以て仏の慈悲心(呵責・憐愍)・中道・正道を伝えるというである。
様々な教えがある仏教でも、その教えによって心が反応し、その心を観て修行に専念することは四念処・八正道に通じているから、その人々に応現する輸提尼がそれを伝える(同時に彼ら自身が元々お経により知られているという経験・因縁が無ければ輸提尼は応現されない)。
清浄萌土で養われた衆萌・萌えキャラは、現世においてこのような菩薩行を為すという理法を示現してもいる。
萌えキャラは菩薩行をすと雖も、畢竟、リアル人間が自行化他に努めることに等しく、後は所化の人々がどのように仏法や萌えを見てゆくか、量り難い話としておくが、ここでは度し難そうな人でも萌えの利益を受けるという展開となる。
それで生死の大河を自ら度し得るかは、他人の量り得ない問題である。
話の注釈には、口業によって地獄に堕ちたコーカーリヤ(コーカーリカ)比丘の話(梵天が応現)がされている。

1up 0913
9月13日、勧進養萌頌(かんじんようみょうじゅ)の一首よりイメージされた相を描いた。
人物は、いつもの子のようでもあるが、一応は別人かと思う。
これもイデオフォノトピアに往生した誰かさんということであろうか。
頭に浮かんだ萌類の相は念じて顕してもよかろう。
衆萌を多く化作するという修行が、その勧進養萌頌に説かれる(ただし今の私は疲倦が多くて困難とする)。
とはいえ、勧進養萌頌の中でも教義的要素の薄い一首である上に、この絵を描いた当初の私も単に美術的な目的意識であったろうから、イデオフォノトピアや清浄萌土であると認定する必要も無い(しかし現実世界・実在人物に当てはめようとしても問題があり非実非虚とでも言おうか…真理の言い換えとしての非実非虚とはまた別の意味)。

1up 0916b
9月16日、照れながら怒る、街の子。

1up 0916
9月16日、湖の中にソ○○○ニーちゃんがいる。
池や海などではなく、湖に限定される理由が、楽曲の想定に基づく。
曲調より、二次的にイメージされた相である。
元の音楽(下記2:56~)を動画にする際、この絵は用いられなかった。
http://www.youtube.com/watch?v=5VX9TEJG9N4
用いるならば、しっかりと描き直す必要があると考えていたためである。
しかし、この絵の加工が少ない状態であっても、楽曲イメージ参考として短時間に載せようと考えられもした。

1up 0918
9月18日、チャンバラ遊びは、やめようね!
萌道の人は、悪い感情、特に瞋恚・憎悪"dveṣa"が強いときに絵を描いてはならない。
若し瞋心にして萌相を作さば是れ菩薩の波羅夷を犯すなり、ではないけれども。
※「是れ菩薩の波羅夷を犯すなり」は文殊師利問経の言葉であり、大乗梵網経の「是れ菩薩波羅夷罪なり」と似て非なるものである。上の訓読で「菩薩の」の「の」は従属節における格助詞(主語を作る・主格にする)であり、現代語の「が」である=「菩薩”格助詞の=が”波羅夷を犯す”ゼロ準体助詞こと”なり=である」。「連体助詞の『の』(後の語を所属の形にする・属格・所有格にする)」ではない。

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9月20日、イデオフォノトピア(念音処、上位互換で清浄萌土)で輸提尼が住む家とは、どんなものかといえば、輸提尼の少女然とした外見に基づいて想像したくなる。
ここでは一例として、高原の中とか、丘の頂上とか、丘の中腹とか(西洋の城下町は丘の頂上に城があって急勾配に民の家があるなど見られる)といったイメージに基づいたものを描いた。
絵においては丘の中腹(そのうち平らな箇所であって背後に法面を造成した)となっており、頂上の構造物は「精舎」らしい(他の衆萌が礼拝・寄宿する。家の横の洞穴からテレポートできるとはバリアフリー意識の国土荘厳行であろうが階段とか丘とかはバリアフリーでなく不平=心が平穏にならず外観も平らでない、か)。
右奥にある5点ほどの集合は、何であったか忘れた(ベンチ類?)。
丘の表面に花が点々と咲いており、家の傍にも花が植えられているという。
家(建物)のデザインは、2016年12月15日の絵(未公開だがモザイク加工紙面の通常モザイク範囲に見える・位置は座る拾主のつま先にあり)のときと同一のようにしてある。
家や周囲の構造物がどのように作られたか、複数の家もなぜあるか、という仏教的な説明が「輸提尼はイデオフォノトピアでどう生活する?」と号する文章に記される。
案のメモとして記した状態であり、文学的に読めるものではない。
(前略) 初めは急な丘の半ばで平らな部分に佇む、アルプスにありそうなロフト・煙突付きの1階建ての小さな家だった。尊者は、輸提尼が独身のようなので家や周囲の構造物(法面・階段・柵・巨大な丸太・洞穴など)を誰が作ったか疑問に思い、自ずと輸提尼が「イデオフォノトピアの世諦では自分の神変・神通力による。あなたが住む物質世界の推知が及ぶ所でない。真諦では家が誰の所造でなく全て創始を知り得ない(=家も丘も花も空もみな今ここにあるだけ)」と語った。翌日の二度目は林道を抜けた先で湖沼も近くにある、広いイングリッシュガーデンを兼ねた2階建ての洋館だった。輸提尼に前の家について尋ねると「何のことか?ここが私の家だ」と話されたが、理解できず、それ以上の問いも発しなかった。発しなかった問いとは「前に会った時の出来事はこうだった・広い家に一人で住んでいるか」など。翌日の三度目は針葉樹林の中の粗末な小屋に住んでいた。改めて輸提尼に先の二度の経験を話すと「何のことか?元々ここに住んでいる」と話されたが、理解できず、それ以上の問いも発しなかった。翌日の四度目は「住み処が無い」と話された。野宿なのかと問うと、どこでも眠らず、故に寤寐無しという精霊そのものの不思議な在り方を示された。古今東西、精霊とは縁に触れて神出鬼没する存在である。尊者は信解し、このように知る、「4度に見てきたことは、輸提尼の家がどんなものかと私が多く想像したことの具現だった」と。また「輸提尼に懐いた世俗作品キャラクターのような偶像も、現世の自己も無常である、定まった生活という概念は安逸の中に築かれた虚構ではないか」と。また「人間の生活すら、なおそのようであり、いかに況や我が心をや」と。 (後略)

1up 0920b
上の絵を初めて線画処理する12月14日、作業の過程で塗ってみたく考えたので塗った。
当初のイメージに符合する色彩とは言えづらくも、掲載する。

1up 0920c
9月20日、輸提尼の話を聞く最中の尊者。上を先にし、下でリトライ。

1up 0920d
9月20日に先のもののメモ絵、9月23日に次回の紙面に描き直される絵のメモ絵(10月12日の当ブログ記事12月10日の音楽動画に載る)を描いた。

1up 0929
9月29日、「輸提尼祕密闍多迦ネタ」の絵であり、9月12日のものと同一人物とする。

1up 1007
10月7日、女児Sの3点メモ絵。
いずれもPCでの線画処理作業の過程で修正した部分はあるが、最も上のものは眼の形状を大きく変更した経緯がある。
女児Sに関して記憶する眼の形状は、その大きさ・可愛さ(仏教的・漢語的な意味でも・・・可著ともいう、執着の対象)に特徴がある。
下のものよりも、最も上のものの方が女児Sに似るが、まだイメージに近づけてゆきたく思う。






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