横野真史 絵 拾主 輸提尼 障礙尊者

今回の掲載範囲は、A4紙面が2017年11月9日~2018年4月24日に描いたもの(11月27日・12月27日・2018年1月26日・4月13日・4月26日スキャン)の1枚である。
ノートPC付属タッチパッド描きの絵は、4月13日のもののみを載せる。
記事・動画コンテンツを意識して新たに塗った絵なども載せる。
今回も例の通りの段取りで掲載してゆく。


タッチパッド絵
こちらは2018年4月13日に描いたノートPCタッチパッド絵である。
後掲の紙面は、同日に描いたメインの絵がある(絵の詳細をそちらに記す)。



紙面

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冒頭に記した通り、2017年11月27日と12月27日と2018年1月26日と4月13日と4月26日にスキャンしたもので、11月9日~4月24日の絵が載る。

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11月9日、「『12月といえば』なアレ」をテーマにした街の絵を描いた。
音楽動画での利用を想定して描き、後掲の完成品を実際に投稿動画2017年12月24日で用いた。

雪の積もっていない・冬の寒い状態の街(街中の広場?遊歩道?公園?)であり、クリスマスのイルミネーションなども配していない。
人物は「8歳のロリ・幼女」というつもりであったが、最初に描かれた状態はメイクしたようにやや大人びた外見であり、これをPCで多く調整した後も、普通の大学生のような外見に留まる。
服装はトレンチコートに似る(ただしアニメ系で子供の冬服はダッフルコートが定番の印象がある)。
寒そうなので耳当てをさせたいが、「子供は比較的に代謝がよい」とか「子供は元気でなきゃいけない(他者による強制でなく実際に自然なものとして)」とかといった観念もあるし、耳当てを着けた外見にしないでおいた。
ほか、メモがある。
ベンチ1.5~2倍に拡大 照明器具は街灯・時計台上部・公衆便所入り口・公衆便所ガラスドーム天井・ビル窓(左側は窓ガラス面) 建物影に特徴づけをする・空の色は薄い紫の暗い色で照明器具はほんのり白い光を発する・雪もアリか 左人物は手ぶらのままか?本人の右手の付近にカバンがあってもよかろうが、その場合は右手の形状も変える

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12月21日より塗り始め、上掲画像は投稿動画2017年12月24日に用いられた状態である(GIFアニメーション3コマで差分を示す)。
前掲・塗る前の状態と比べ、下書きのレイヤーでも様々に調整した(黄色い道の幅やベンチのサイズなど)。
手袋の色を塗る際は、手作り系でない仕上がりの毛糸・ニットらしさを念頭に置き、塗り方を工夫した。
より具体的に塗り方を言うと、当方の主要なペイントソフト・描画ソフト"AzPainter2"における、ブラシとスプレーとを有効に駆使した。
地面(レンガもどき・タイル・ブロック?)を、強い濃さで赤く塗ると、血塗られた街のように見えるし、同様に手袋の色も殺人を犯した後のように見えて痛ましくもあろう。
トレンチコートの色彩が軍服を想起させ、この子が「殺り手」と思えてならない。
余談だが、動画に用いた音楽のうち、ある曲は「人斬りサ〇タ(サタン?)様」云々という原案テーマがある。

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12月24日、ある人が外に坐して雪の降って積もる様子を観察していて雪が止んで晴れた後の様子を描いた、と2018年1月19日に設定づけられた絵である。
それ以前は、漠然と、雪の降り始めだとかと、元の音楽のイメージ(個人管理識別番号: 470 未公開721など)と混交していた。
自分の中で納得できるような設定を付ける必要が出てきて結果的に2018年1月19日となったろう。
何にしても綺麗な満足感に至らなかろうが、暫定的にそうする。

「ある人」の外見は、修行者ということで、私のような長髪や、私ほどでない長髪でもよかったが、綺麗なスキンヘッド・坊主頭にした(眉も剃ったほうが良かったか)。
服装は、僧侶の法衣か何かのつもりにし、蓑のようなものを首に巻いてある。
服装および植物(手前のものはツツジのような低木系)・堂宇(草庵)・随所に積もった雪など、感覚的に描かれた要素が多い。

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こちらは色づけられた完成品であり、1月19日の絵と共に2018年1月27日の音楽動画に用いている(この絵の最上部=堂宇の軒・梁は資料見ずで曖昧な出来に終えられており、基本的には動画で映されていない)。
http://www.youtube.com/watch?v=NSD4tjgmTBQ

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12月26日、他の紙面(前回記事)における12月25日のものの完成版を描こうとした。
PCでの加工における大規模な調整は「尊者の輪郭の縦幅を縮めた・拾主の肘から先の全身の位置を尊者に寄せた(それに伴って空いたスペースを描いて埋めた)」。

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こちらは色づけられた完成品であり、2018年1月11日の音楽動画に用いている。
http://www.youtube.com/watch?v=8P00yIrwZ78

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1月19日、12月24日の絵と共に音楽動画に用いるための絵を描いた。
先の修行者が剃髪で髭も剃られた状態であることと反対に、長髪でやや髭が濃い修行者(仙人?居士?隠士?)が想定される。

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完成品には、顔の角度が異なる差分を作った。
この完成品及び12月24日の絵は、2018年1月27日の音楽動画に用いている。
http://www.youtube.com/watch?v=NSD4tjgmTBQ

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1月25日、「障礙尊者の姿を借りて」体型を表現したメモ絵である。
私の中で、2014-16年に外見的特徴が定まったオリジナルキャラクターが、2017年以降に萌集記の障礙尊者と習合しているようだが、果たしてよいことか?
もとい、オリジナルキャラクターの名前も従来は不定(または2013年に別に決まっていたものを仮定的に適用するなど)であって2016年2月から「障礙(しょうげ)」と呼び始めたわけで、萌集記の障礙尊者はより高次の存在として不一不異のはずである。
そういった、一種のmeaninglessness, emptinessの立場で私が自由にキャラ名を用いること(仮名)はできても、ブログでは憚られる。

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2月28日、性的な表現(ただし子供にとって最大限の工口・全裸でキス程度)なので掲載に躊躇うが、「活動方針に悖って載せないこと」をしない。
この2月は、当紙面にこの絵しか描かれず・他の紙面(前回記事)に描かれた絵も少ないことから分かるように、特殊な状況であった。
特殊な状況によって、「私が描いて公開するには情けない」ような絵が割合として多い。
視点を変えるならば、悪い絵ではないが・・・。
絵面は、過去記事所載のLesbophileシリーズの絵(12-12-234, 5)を想起させる。

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絵として元々はディープキス状態がイメージされていたが、描いた結果では左の人物が前に重なっているだけの外見であるため、PCで多々修正し、上のGIFに示す。
この絵にストーリーを想定すれば、まず右の人物が落ち込んでいる時に左の人物が様子を窺いに来て、すぐに察して慰めようとして「元気出して・・・」と言って両頬を掴んで本人の顔に寄せてキスをする(唇の正面衝突)。
この唐突さがよく、それ以前の背景については詮索の余地が無い。
その後、この行為に至るまでに共に全裸になる段階もある(それまでは何らかの服をまとっていたろうか)。

pratyeka pacceka
3月3日、ヒッキーポエム・辟支歌(ひゃくしか、中古音: *prak-che-ka 梵語: pratyeka or pacceka-kāvya)だという。
「私が部屋を出てみたら 私は貴方に嫌われた 私が部屋を出なければ 私は幸せなのだろう」
「我、室(へや)を出(を+い=ゐ?)でて厭はれぬ 若し出でざれば報(むくyi)を得(を+え=ゑ?)ず 身は安らけく憂ひ無し 世の衆(もろ)びとに恨み無し」
※中古日本語を用いた2首目には「句中字余り母音排除(言語学的に"apocope; apocopic form"ともいう)」の括弧注釈をしたが伝統的に正しいか不明。例えば一書に「又歌に五もじ七もじの句を一もじ餘して六もじ八もじによむことある是れ必中に右のアイウオの音のある句に限れること也。 割注:エの音の例なきはいかなる理にかあらむ。未だ考へず。」とあることに依れば「報いを得ず」の「を得ず(wo-e-zu→we-zu)」は正しくないか。
詩の内容が「さっきまで体の中にいたのに出てきた途端…」の「森山某」の歌に似ているが、それは関係ない。
絵の人物の髪型が「小森某」の髪型に似ているが、それも関係ない。

この絵および詩の言わんとするところを詳説しよう。
インターネットにおいても俗事に目を向けない方が心の禅定を損じないので、部屋を出ないことと同じように俗事に目を向けないようにすべきである。
ヒッキーもとい引きこもり・閑居求道者たる理由や目的性を正しく守って堅実に生きよう。
「世の衆びとに(対して私は)恨み無し= I have no hate」。一切法は空であり、自己を害する因でない、云々。
もし他人の言動が不愉快に思われたらば、「変毒為薬」で仏法を顧みる因とすればよい。
また、菩薩になりたい人は、そういうインターネットのページ(2ch, YouTube, Twitter等)を見たならば、そこに仏説を示して「(恐らくいるであろう)苦しむ他人(幻想の存在、慈悲で推量されたもの)」を救おうとすればよい。
そういう菩薩に成り難い私は、絵と音楽と学問とを愚直に進めるしかない。

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3月6日に輸提尼の上半身と上腕を描き、9日に完成させた。
見ての通り、坐禅らしい姿勢(アーサナ)であるが、複数の過去記事・先例に異なって目を閉ざしており、身体的な(五欲に関連した)快感に浸っているような表情にある(脇メモにpleasure、poseurでも…という)。
手印(印契・印相)は、ヨーガ系の影響から西洋で普及している両手の人差し指と親指で輪を作って両膝に置くムドラーを模したが、人差し指の役割を中指にさせている。
中指で輪を作る手印は、日本で釈迦如来の像に作られるようである。
なお、本人右手は別の絵と重なるので紙には描かれず、PCで追加された。


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3月9日に障礙尊者で同様の絵を描いたが、手印は右手が左手を上から覆う形式にした。
後々、手印はガンダーラの仏像に見られるような「左手の5つの指を一束のように集めて上に向けた状態にし、右手がそれらの指を覆う形式」でもよかったろうと思った。
2018年6月8日に投稿された"Dominus Immensus"動画でこの絵を素材として用いた。

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2018年7月7日には色塗りを行った。

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3月25日にメモ絵2点を描いた。
人物と植物(特に向日葵・ひまわり・ヒマワリ)が主要となっている。
メモ絵が2つ、上下に連なっており、上のものはメインの絵として描き直され(後掲)、下のものはメインの絵として描き直されないでいる(2018年6月時点)。

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同日中に2点のメインの絵が描かれたので、それらについて説明する。
1つ目における人物の外見は、別紙面2月4日のメモ絵を模した。
2つ目における人物の外見は、髪型がなんとなく「いつもの子・障礙尊者」と似ているが、前髪の先端を多少揃えたり後方サイドは三つ編みのようにしたものを後方に回してまとめるなど、相違点を意識してある(2つ目の絵といっても先に向かって右にある顔が斜めを向いたメモ絵を先に描いた)。

1つ目の絵で、人物が明らかに植物の生えていると思しき領域に腰を下ろしていることは、萌相三十儀などに仏法の理や経論の解釈などによって既に道徳的な問題を排除し終えてある。
様々な物思いが起こることは、第一によいことだとし、次いで各々の結論のままでは良くないので仏法の理や経論の解釈に習い、最後は当然「自己の苦を除くという目的」を確認すればよい。
萌相三十儀に付属した問答文章の一部分を抜粋する。
●「華を以て莊嚴する儀」に失(とが)ありや
問、花の咲く場所に踏み入ったり、花を摘んだり、花を髪飾りにする行為は「残酷だ」と道徳的に不快感を覚える人がいるので不穏ではないか。また、仏教だと農耕を禁じた比丘の律の意義にも悖るのではないか。
答、仏国土の荘厳には「天の華を雨らす」とあり、このような所説から案ずるに、萌相の花は方便として仮生したものであり、摘まれる因縁の故に描かれたろう。仏国土の「天の華」も同じような因縁である。諸々の大乗経典、法華経・般若経などで、普通に釈尊が蓮華座・蓮台(はちすのうてな)に座しておられ、その仮生した蓮華座は、金剛不壊であると思われる(あるいは蓮華を壊さない慈悲の神通力を示す意図があると大論巻八に説く)。また、世間の宗教画でも花をかたどった飾りなどを人物が身につけている。道徳的に不快感を覚える人が仮にいても、こう話しておくことで納得して頂けようかと思う。また、実世界においては地面の虫を踏みつぶしているであろう人間は、その罪を自覚しないが、過度に気にする必要性もない。絵の世界に生える植物の健康状態を気にしては、めでたき萌相も悪の権化の如く見えかねない。当に汝が妄念を尽きしむべし。萌報身の力用(みはたらき)により、善悪を離れた無記の応身の萌類が、無邪気にも花で身を荘厳するのみである。花々もまた応身の萌えとして無記の存在である。清浄萌土抄に「群萌は萌報身の等しく愛すべき所なれば群萌の間にも差別の心無し、柔和円満なりと云うべし」とある通りである。花々もまたそこに描かれるだけで尊かろう。また、仏教の律儀という点は、すでに教義上は別問題となっているし、修行の意義からしても、我ら末世在家の者において律を受けていないので問題は無い。萌相の萌類も当然、律の不具である。※現に律の条目などを知っている私が語ると、出家への道心を自ら失うという妄語罪の報いを受けるので化他の方便であっても「妄りに語ること」を恐れてはいる。

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当記事および萌えの典籍2017記事のために1つ目の絵の修正を多く重ねた。 gif
新たに地面の植物を描き加える際、当初最も左にあった「ポピーかアサガオ似の花が散発的多方向の花序で複数ついているもの」は、「種名の分からない魅力的な外見の植物」に描きかえた。
それは、PC保存写真において、ユーラシアの高地(うちケッペンの気候区分でBSkCfaDfa, Dwa相当で想像に任す)に群生していて葉が緑・花が青白くて異彩を放つ外見である。
後で調べると、ヒヤシンス系の何らかの種(科くらいの区分名称は"Scilloideae" か "Hyacinthaceae"だが不定。属・種をHyacinthus orientalisとみなしても問題ないか)であると知ったが、詳細は不明のままである。
他、何の植物であっても、夏場(ヒマワリの咲く状態より類推)に必ずしも花が咲き続けているとは限らないであろうが、事実を描く目的による絵でないから、その現実性を特に問題視しない。

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メインの絵・1つ目のものの10月11日における色塗り過程の画像を掲載する。
予定通りにシャボン玉を描き加えてあるが、人物の左側に4つあるそれは見づらいようでもある。
また、1つシャボン玉が右に大きく映っていてもよい。
向日葵の向きから想定される太陽の位置が南東~南~南西のあたりだとすると、なぜより南方向へシャボン玉が飛んだかとすれば、「それは北風(通念上日本の夏には吹かない)に因らず・人物が5秒前にその方へ向かってシャボン玉を飛ばした結果としてそうなった」、と説明できる。
その合理性に沿った説明を想定した私は、精巧に作られた3DのCGのように人物などが動いている映像を脳内に表した。
無論、私の絵の風景は大概、実在の地名適用対象と同一にされる必要性が無いし、自然現象に厳密である必要性も無い。

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メインの絵・2つ目のものの2019年4月14日における画像を掲載する。
脇メモに「↑このようなバランスに拡大す 他の案も」と書いたことについて、文字通りでなくもされるべきことを行った。
主な変更点は、ヒマワリの葉のサイズが大きくされた、人物の頭部全体の複数の部分が詰められた。

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4月8日、萌えの典籍の話より、障礙尊者が直立で合掌しているシーンを描いた。
本来、これが"Dominus Immensus"の音楽動画でも用いられなければならないが、動画制作時に回顧されなかったので使用されなかった。
改訂版中古日本語・カラオケ版を作る時に使用する。
→2019年6月に実行。ただし「中古日本語・カラオケ版」という当時想定されたものは少し異なる。

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4月13日、不浄観(白骨観)をするイデオフォノトピアの萌類を描いた。
傍の萌類は当日から案があって4月21日に描き加えられたが、まだもう1・2名は描く必要を感じている。
当記事では人物の配置・位置関係としても未完成の状態で載せる。

「声聞の乗を求むる者そうらいつれば、彼が為に利益せんと欲して尸陀林に身を与う」という背景が想定される。
この遺骸の本(もと)の萌類は、方便で入滅し、方便で腐敗の相を現したろう。
過去の日本では、声聞乗・小乗は元より大乗仏教の天台宗などで普通に不浄観は僧侶の修行に組み込まれていて実践する者がいたために、在家の貴族女性が自身の死後の遺体を不浄観のために捧げるようなこともあったという(檀林皇后など)。
イデオフォノトピアの萌類は一乗菩薩の自覚があろうし、それで声聞の修行をするならば、当然、将来的な菩薩行に廻向できる功徳を求めていることとなる。
そういった環境は、萌報身の力用によってなされる。
風景については、当初に洋風な墓場を想定していたが、墓荒らしをして遺骸を露出させたように見えそうなので、仏教的に真っ当な「尸陀林"śītavana, sītavana" (尸とあるので屍を放り捨てる意味がそのまま表れた名前に見えるが音写の用字に過ぎず漢訳は寒林cold grove)」にした。
そのような尸陀林や空閑処・阿練若"araṇya, arañña"に、一部の萌類が身を留めて声聞の修行をしている。

遺骸については、ミイラ化に近い状態であるから、眼窩の窪みが目立ち、髪の毛が半ばに頭皮にくっついた状態である。
その寝相・姿勢は右脇を下にして足を重ねる「獅子臥"sīhaseyya"」である(釈尊涅槃像に必ず用いられるものと少し異なって遺骸として崩れ気味であるようにした)。

絵を描いて以後にパーリ仏典を確認すると、いわゆる九相・九想(屍が腐敗~白骨化する・焼かれるまでの9段階)に対応する言葉として"navasivathika (navasīvathika)"があった。
実際の遺体・腐敗死体は外見に人間の変容した姿の生々しさがあるのみならず、漸次に腐臭を得るので、淫欲を対治したいという目的性において修行者が行うならばよいこと(ネクロフィリアは別の話)であろうが、誰であっても感染症に注意しておいたほうがよかろう。
鳥獣に喰われるという噉相も九相のうちに含まれており、鳥獣からの感染症(昔ならば狂犬病など)は尚更恐れておく必要がある。
ただし、イデオフォノトピアでは感染症について心配ご無用である。
※現代上座部仏教はクリーンな病院で解剖医による解剖行為を見てその場での深い瞑想などを行わない様子である。止観といった修行は然るべき場所で行うもので、観想対象を目に焼き付ける程度に見て「止観の中で想いを保持しやすくする(相を取る・摂る)」ことが目的かもしれない。

改めて絵について注記すると、もし色を付けるならば、坐る萌類の髪は赤紫か青紫を衣は淡い茶か緑の混ざった暗い色を想定する。
絵の舞台は昼の林であり、高い針葉樹がそびえ立つことによる暗さがあり、林の中でも林道か広場らしいところにある。
傍の萌類たちは、どういう目的でここに来たかと言えば、肝試しか墓参りか単なる通行か、色々と想像できるが、「萌報身の力用or法の因縁(普通のストーリーからすればメタ的な設定)」が何よりでなかろうか。

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4月20日、音楽(個人管理識別番号: 467)の一部分のイメージに基づく絵を描いた。
完成品を作る場合、同日にPCで加工した背景イラストに合成する。
2017年8月24日投稿動画1:35~の静止画のような合成がされよう。
背景イラストは(空を切り抜いて?)雲をアニメーションにして動かしてもよいし、動不動を問わず雲による影が地面・人物に反映されてよいと考えるので、そのような完成品を目指す。
ただし、脳内のイメージを正確に反映するならば3Dモデルを組む必要がある(私の芸術表現は古典的なものでよいのでその手法を用いる必要は無かろう)。

背景 人物 風景 シーン
追記: 2019年3月31日投稿動画のために、当日に急いで人物の色塗りをして背景イラストに合成し、即日に公開した。
本来の用途のためには、再び色塗りを行うであろう。

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4月24日、裸の状態の障礙尊者の絵を複数個に描いた。
障礙尊者の障礙尊者たる一面を示すために、できる限り、官能的な表現にした。
また、体型がどのようであるか、参考にできるようにした。
仏法の眼では、この絵が相似の・仮名の障礙尊者であり、何らかの阿修羅や羅刹を表していると見られる。
これらのうちの2点のの脇メモに「腹部シワ」とあるが、腹部にシワ・しわ・皺ができるような姿勢になって必死に胴体そのものか付近の別のものを見ようとすることを意味する。

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当の紙面よりも先の同日中、別の紙面の空きスペースに同様の絵を描いていた。






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最新投稿動画
6月22日 http://www.youtube.com/watch?v=1KNDgGY3F9E
※4月以降に私が投稿した「言語学・音声学 動画レポート」をまとめた動画であり、個々の動画に音楽要素も多々含まれている。加えて、新しい音楽としては「2秒未満ある動画のつなぎ目」のための音楽素材2つ(いずれも1秒強)がある。