例えば、幼少の私が子供らしさを大きく欠いて、慎ましやかに振舞う。
金銭の絡む要求(例:あのゲームほしい)であるとか、欲望の一切を隠忍自重し、おくびにも出さない子供として幼少を生きたとする。
それをする前に、1歳からあるハゲた箇所は取り返しがつかない。
更に、私がどう孝子の装いをしても、私の両親は価値観が互いに相容れず、母親は喧嘩の原因を作ってしまう。
事実、私が小2の頃に母親はエレクトーンを購入したが、きっと父親への相談はなかったのだろうから、当時さぞかし夫婦喧嘩の発端となったことだろう。
帰宅して突然、室内に見覚えのない高価そうなものがあれば、「またか」と父親にとり憤慨を禁じ得ないものだ。
エレクトーンはごく一例として引き合いに出したに過ぎない(他の楽器については過去記事も参照)。
かつて、休日は毎度のように勃発した夫婦喧嘩は、母親の衝動的な浪費に端を発し、その内容に目くじらを立てた父親の憤怒に起因するのか。
この所見は、数年ほど前から私の中での通説となっている。
『私の人生に「もしこうしていたら」は適合しない。親の業とは?』の続きを読む