自由 絵

自由主義・リベラリズム"liberalism"とリベラルアーツ"liberal arts"について、ニート・ひきこもりのための美学が、「科学・文学・音楽・美術 個人主義や自由主義のためのリベラルアーツと芸術運動」という記事 (メモ帳2019-07-15) に説かれている。
https://lesbophilia.blogspot.com/2019/07/arts-neet-hikikomori.html

私がそうであるように…、改めて、ひきこもり(引きこもり・引き籠り)・ニートの人々はインターネット利用可能の限り、家で静かに学問や芸術をすべきであることを付言する。

(中略)
学問や芸術を行うこと、その目的を何にするか?
これはまた、各々の人生経験・人生観・死生観・価値観から決めればよいと思うし、まだであるならば好奇心の向く範囲内での努力の結果に自ずと見出せるとよい。
苦しみの心を自覚するならば、その解放を目的とすべきである。
つまり"id est"、自由主義・リベラリズム"liberalism"の原義であるラテン語"libero, liberare"を志向した手段とすべきである(辞書的な語源はフランス語libéralisme<libéral<ラテン語liberalis<liber<印欧祖語の語根*h₁lewdʰ- "people, to grow"となるので私の思想的な語源になりそう)。
リベラルアーツ"liberal arts"とリベラリズムは直接関係しなかろうが、個人の意思や精神の表現の「手段と目的」という関係性そのものに通じる。
リベラルアーツとは、古典的な定義で3つの技能"trivium: grammar, logic and rhetoric(文法・論理・修辞)" + 4つの技能"quadrivium: geometry, astronomy, arithmetic and music(幾何学・天文学・算数・音楽)" = 7つの技能 (skills, arts; artの語源はラテン語ars) を意味しており…(後略)

当記事では、学問・芸術のうちで、美術(視覚芸術)の行為が主題になる。
望まれるものは、革命とか社会の是正とかよりも、身近な運動である。
結果的に他者が救われたり幸せになることがあろうとも究極的に自己に帰するのみ。
「革命や憎悪による運動を望むよりも自分の頭の方の革命をして、精神を解放してみよう"You say you'll change the constitution. Well, you know, We all want to change your head. You tell me it's the instituion. Well, you know, You better free your mind instead"」と語る人が、おりまして。
某サイトの過去作曲者「らい〇ちゃん」の"Restructuring"という曲の猟奇的なシナリオは、そう説くビートルズ (The Beatles) の"Revolution"が元ネタなんだって最近になって知った。
これは水を差すような話であるが、以下からもその種の話が続く。
その後に、私の絵や音楽作品から、表題に合うものを当記事で掲載してゆこう。

『文明的な意味での「自由」や「不自由」を芸術・美術で表現する方法』の続きを読む