横野真史公式ブログ

中卒ニート引きこもり、横野真史の公式ブログ - Sep. 2012 と、丁寧に書いているので、このmeta descriptionが検索結果に表示されるはず。私の名を検索する数万・数億のあなたは、私の文を読んで私の心に通じたろうか。

横野真史公式ブログ

横野の考え

「有名人」は持続可能性が低い? SDGsとともにスローな活動、の提言


※事情によりトップ画像を準備せず投稿。


ここに画像の案。SDG: 3, 10, 11, 16; 加えて5, 12というもの。

横野真史の活動は、年々、学問を背後に、スローなものとなっている。
これが良いか悪いか、価値判断をするのは自由だが、私自身としては、好ましいものと評価している。
一般世間の有名人とは、明らかに違う方向の形式で、精神衛生などを重んじたサステナブルな道を選んできた。
これらの思想的な背景(哲学的な議論)については、以下の記事で分かるかと思う。
2016年10月21日投稿『事実認識の相違、思想や意見の対立でヘイト感情…世俗上の中観法』
https://lesbophilia.blogspot.com/2016/10/heretical-dogmas.html

2019年8月2日投稿『科学・文学・音楽・美術 個人主義や自由主義のためのリベラルアーツと芸術運動』
https://lesbophilia.blogspot.com/2019/07/arts-neet-hikikomori.html

2020年3月5日投稿『ニートの記号論・記号学で社会正義の程度を判別する』
https://masashi.doorblog.jp/archives/54300497.html

横野真史の活動が、スローで持続可能なものを追求し、「成長と成熟とを兼ねた、ゆっくりと滅亡する平和な人類文明」を築き上げる一助になれば、と思う。
とはいえ、横野真史の活動が、これからも、同じように続けられるという断言はしない。
むしろ、大きな転換点を突き付けられている。

『「有名人」は持続可能性が低い? SDGsとともにスローな活動、の提言』の続きを読む
下の広告は2015年5月1日をもって消えました。

一度も私が受けない承認について



あらゆる分野に足を突っ込んできた横野真史の活動で、任意の同一分野の専門家(半分匿名である人の多い分野を含む)がいくらインターネットで活動していても:私に言及することや、私の投稿物にコメントすることは無かった。
私が意思を示して継続的に行う場合も、その意思を汲んで批判や評価などの批評を私に行う者はいなかった。
そのように私は認識している。

絵などの創作、音楽などの創作、地理学、仏教学(宗教学)、言語学、および、これら以外で小規模に行ったものなどもある。
上記のアプローチ「インターネットでも活動する任意の同一分野の専門家(半分匿名である人の多い分野を含む)が:私に言及することや、私の投稿物にコメントすること」は一度も無かった。
思い返せば、小さいころから、私の行動を個人として正当に評価する他人はいなかった。
今までも、何らかの理由で大人–オトナに相対する子供–コドモというレベルでのみ扱われた。
または、少しでも才能を見出すとマウントを取るような人の言動を私は常に受けたろう。
才能、努力、意思…、どのようなレベルに関しても私を正当に評価することを他人はしなかった。
そのように私は認識している。

私は、「蘭室」といって自分の才能を養うために色々な場所に身を投じたが、無論、その種のコミュニティやSNSに深く関与したわけでない。
他、YouTubeはメディア–媒体として利用するのみであった。
ただし香港の住民を昔は英語で民族名から"Hong Kong Chinese" "Hong Kong Britons"と言って「香港人"Hongkongese, Hongkongers"」と言わなかった (1, 2; cf., シンガポール) ように、"YouTuber" (ユーチューバー) という呼称が定着していなかった2013年以前、私は「顔出し動画投稿者」という立場でいることはあった。余談だが、2013年以前にYouTuberと言うとYouTube動画投稿者を指すよりはYouTube利用者全般を指すことが多かったろう。"YouTubers hate" by Tony Marano https://www.youtube.com/watch?v=alMYTWyeoU8

そういう方面を除いて考えてみよう。
一介の、善良な市民として認識されても、この家に住む無職の私であり、ガキという位置づけなのであろう。

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ニートの時代区分(簡素な時系列、年表)



2013年、当ブログ供給源である Livedoor Blog における「無職・ニート」カテゴリの新設を私は提言し、これが直ちに実現された。
2013年7月20日投稿『Livedoorブログ、祝「無職・ニート」カテゴリ誕生!』
http://masashi.doorblog.jp/archives/29731210.html

その私が、過去記事「ニートの記号論・記号学で社会正義の程度を判別する」(2020-03-05 b) の情報を簡略にまとめてみる:



先ニート期(~1994年) Pre-NEET
まだ特定の呼称が無く、無職・少年や若年層について何かしら考えられた程度ではないかと見られる。
統計によって社会的な表面化がされるには早かったとすれば、社会学的に妥当な考察は無いに等しい。



ニート黎明期(1994年~1999年) Proto-NEET
1994年にウェールズの機関から Young People not in Education, Training or Employment in South Glamorgan という著書 (Istance, D. et al.; ISBN: 9780948935787) が発刊されているように、Not in Education, Training or Employment という呼称で何かしら明文化された形で議論が発生したと見られる。
ただし、略称はなく、NETEとは呼ばれなかったろう。
上掲の著書に関しては未だ内容の詳細を窺うことは難しい。



ニート古典期(1999年~2004年) Classic NEET
イギリスにおける当時の労働党政権のトニー・ブレア首相が主導して「満16歳で義務教育を終えた若者全員に18歳までの2年間の教育をどうにか受けさせたい」という考えで教育方針が示された。
彼らの経緯に基づく「目標 (the goal)」が、1999年の文書 Bridging the Gap (by SEU: Social Exclusion Unit ) で示されていた。
適用範囲はイギリス連合王国の中でもイングランドとウェールズが主である。
以下は、参照された記事からの引用である:
目標は義務教育が満16歳であるままで18歳までの「2年間の教育(GCE A Levelなど。英語版Wikipedia"Education in England"oldid=941539934の節#Schools_and_stagesも参照)」を普及させることなどであり、pp. 102-104にはイギリスの16–18歳"not in education, employment or training"個人の3例 (‘Jenny’ age 17, ‘Adam’ age 18, ‘Lisa’ age 18) が挙げられる。
3例は、児童虐待被害やアルコール依存症や薬物依存症や少年犯罪や十代妊娠などの実例でもある。
「彼らが教育や勤労の社会的な手当てが無いと深刻な犯罪の実行または被害の恐れを持つこと」は、重大な懸念事項であるが、あくまでも労働党政府は16–18歳の教育の普及が目的であったようである。


次の引用文もある:
But we are now clear about the goal – higher standards of education for all, support for those who need it most, and an end to a situation in which thousands of young people are not given the chance to make a better life for themselves and a bigger contribution to society.
— Bridging the Gap: New Opportunities for 16–18 Year Olds Not in Education, Employment or Training; p. 7, July 1999

同文献に Not in Education, Employment or Training 個人を指すNEETという略称は見出されない。



中興ニート期&新ニート期(2004年~現在) Middle NEET & New NEET *middle は medieval, restored, reformed でもよい
日本で、一部の著者、評論家により、福祉や教育の観点で、"Not in Education, Employment or Training" NEET として新しく概念、用語が導入され、普及した。
厚生労働省などの政府機関でも同様に用いられた。
参照記事では、イギリスとこの日本との違いについて「背景の事情や議論の対象が違っている、と読み取れる。point, aim, goal... 読者にはうまく把握できるであろうか?」と解釈している。
インターネット上では、2010年までに好ましくない三次的な利用や階級、民族差別に比較できる言論も発生した。
概念の過度な歪曲、一般化、単純化や、人権侵害に等しい侮辱の表現や、関係の無い人間に対する不当なニート認定を含む。
この特徴で英語圏や韓国/朝鮮語圏のポップなサブカルチャー界隈で似た傾向があることを、参照記事に例示したように、日本発祥ニート概念が世界の一部に広がったことになる。
中興ニート期と新ニート期とは、後者が後の時期であるものの、両者における時期の境界が不確定であるため、併記した。



グローバルな観点で「ニートの時代区分」はこのようになるが、同名または似ている名前の別概念としてニート中興の前後は別物とした方がいい見方も、私にはある。
古典ニートは明らかに土地、政治地理の制約がある上に、年齢的にも18歳以上はほとんど無関係になる点で、この定義でニートは日本に皆無である。
いずれにしても、私は新ニート期の立場で2012年に中学卒業したが、実は古典ニートにも近かったことになる。
新ニートのエクストリームな立場では、2014年に復古主義的ネオクラシシズムで「ネイティブニート Native NEET」を名乗ること (記事としては2014-10-10) もあった。
言うまでもなく、社会的に個人 (individual) は個人の尊厳があり、ファッション的でも○○ニートを自称することは自由であり、逆に任意の個人 (individuals) がニートとしてくくられる義務は無い。
社会的ロゴスから「脱却」したい人は、それもご自由に。

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ニートの記号論・記号学で社会正義の程度を判別する

NEET-semiotic-analysis

およそ成人年齢に達した誰もが「肩書の名称(仮名–ラベリング labeling)」を使用することは、それが闘争の道具やファッション的な装飾としてではなく社会正義 (social justice) に基づいて社会で有益に機能することが志向されねばならない。
そこで、私は「ニートの記号論」を説明する。
この目的は学術的であるよりも社会的である(物事の本質的な善悪が無い立場よりも正義感に依拠する)が、学問の知識が基盤になる。
大衆的な導入として幅広い説明がある。
題材は現代日本語に制約される精神的日本国だが、比較のために多言語である:

「ニート」の多義性
本来の意味 (original meaning) と、侮蔑的な意味合い (pejorative/derogative sense) とがある。
後者の意味合い(確たる定義の無いもの)を3つの用法に大別し、概念と名称と指示対象とに関する客体化 (objectification) を考察する。

「ニート」の本来の意味の運用性
"Not in Education, Employment or Training"は実在個人 (real individuals) の仮名であるのみで他に付加される要素は無い。
あれば、それは社会正義のためにのみされねばならない。

「ニート」概念名称が日本の社会正義を試す機能
穢多・非人 (えた・ひにん eta-hinin) という差別 (discrimination) の観念がニート・ひきこもり (NEET-hikikomori) に移行している日本のインターネット(および日本系サブカルチャーの世界展開:英語圏や韓国語圏など)の現状を鑑みる。

備考(分割で投稿する予定の説明)

記事末尾から上げて「あとがき」

参考リンク

『ニートの記号論・記号学で社会正義の程度を判別する』の続きを読む

ニートの記号論・記号学と社会正義:備考7項目

NEET-semiotic-analysis

主記事「ニートの記号論・記号学で社会正義の程度を判別する」から分割して投稿する。
備考7項目に加え、主記事に同じ参考リンクを掲載する。

  • 「精神的日本国」 「日本語世界」とは?
  • 1 の用法の「ひきこもり」に対する適用
  • 2 の用法の「ひきこもり」に対する適用
  • 3 の用法の「ひきこもり」に対する適用
  • 学歴議論–論争、高低の定義
  • 不当な一般化–客体化がされた他の単語例
  • 行為と認知的階級の関係性

『ニートの記号論・記号学と社会正義:備考7項目』の続きを読む

図表の画像製作に関する簡素な記録

図表 製作
http://www.youtube.com/watch?v=-ZqIphFlhJg

2018年8月中に、言語学的見解へ理解を深めてもらう目的で、図表・画像2種類を製作した。
table1-1~5.pngとtable2-1~2の計7枚を載せて説明する。
それら2種類の画像は、いずれも自ブログ「横野真史の学術的メモ帳」の記事の記述に随って作られ、以後、そこに載せられた。
『図表の画像製作に関する簡素な記録』の続きを読む

平成29年(皇紀2677年)の新春を寿ぎ奉る

2017 新年

2017年「あけましておめでとうございます」。
毎年恒例、1月1日に予約反映する記事である(例年記事のリンク→2014, 15, 16)。
月日の流れが甚だ早く感じられ、1秒1秒が惜しいというのに1秒1分の物思いを止められない昨今である。
2016年中は、当時の記事に綴ったが如き「道心を堅固に」の精神でいられたか?
私は、高邁な自尊を仏の振る舞いから学び取っているため、例えばアクセス数の減少や、もはや名声を得られない状態があり得ようとも、なんら活動をやめる理由にはならないので、そういったスタンスで今後も活動が続くことを付記する。

さて、私は横野真史名義の活動において「暇だから」といった意識に因って行ったことはなく、事後に「現実逃避」などと邪念を起こすこともなかった。
世間の人がインターネットで活動する際、そのように不純な動機を意識したり、その結果に対する自己評価をしている様子を見かけるが、私は決してその動機を意識せず、背徳的な自己評価をしなかった。
なぜならば、私の活動とは、一つの何らかの意志に随い、その時に応じて種々にされてきたものであり、どうあっても「道」として歩んだ軌跡である。
道草を食っているのではなく、「道そのもの」として歩まれた足跡である。
インターネットの多くの人々を見るに、そういった低劣な自虐(愚癡の心)を発するところ、いみじくも言動が一致した彼らの不純な活動があるとみてよい。

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私の母と弟に見る修羅・畜生の性質と、度し難い人々の概説 「自覚・反省・努力」

親子喧嘩
6月5日の母・弟の喧嘩音声と各種映像・写真資料→http://www.youtube.com/watch?v=enCDlBIKTXc
 
今時の母と下の弟の喧嘩は、かつてしばしば発生した騒々しい親子喧嘩と異質な上、頻発している。
二人の会話が険悪となることは、およそ母親を原因とするものだが、今回話題にする一件や8月27日の草むしり闘争などは弟の不手際などを原因とする。
近頃は弟の暴力も強まり、しかも常態化しているわけで、母親も日々の一挙一動に狂いが出ているから泥沼そのものである(いわゆる精神崩壊が近いか)。

2016年6月5日の外出中、図書館で財布を無くした知的障害の弟と、母が喧嘩した。
まず概要を述べると、6月5日の出来事を日記メモで記録し、その後の知的障害の弟の部屋の「ボンド地獄」については実際の光景が、上リンクの動画に映像として載る。
ほか、同じ動画で「参考資料」と題する写真類も載るが、当記事で改めてそれらの写真を増やして載せる(弟が同日レンタルしたDVD類については動画の所載に任せる)。

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皇紀2676年の新春を寿ぎ奉る

皇紀2676年 新春を寿ぎ奉る
挨拶動画→https://www.youtube.com/watch?v=ojK8GB3NW7w

謹みて新年を賀するなり。
本年はますます道心を堅固に、菩提心を倍増して、日々に忍辱と研鑽に励む志を高くせねばならない。
創作関係では、早期に傑作を生み出す必要がある。
聖人は死ぬまでに本懐を成就した。
自分はたったの18歳(2016年1月中に19歳となる)であるけれど、「短きが故の奮闘あらん」ことは最近の擬古文・散文の中に見るので、しばし熟読されたい。

12月20日の散文
私は孝子として、父母の魯鈍なるを速やかに度さんがために思惟し、記録し、諫言を繰る。
非人貧道の身で、民衆と国家と世界に最高の忠言をなさんがために、種々の情報を布衍す。
悪業深きの故に、寿命久しからずと雖も、久しからぬ故に、一生を捨つる勇猛心あらんか。
願わくは速やかに本懐を成就せんことを。

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当ブログの投稿ペースを1~2週間一度に落として久しい

更新放置

タイトルの通り、当・本家ブログでは記事の投稿ペースが芳しくないように思えるものの、これは同じくタイトルで「落として」と表現する通り、意図的な側面が強い。
いくつかの過去記事でもこのような話題をしてきたと記憶しているものの、例の如く徒労捜索で、それらしい投稿は本家・メモ帳・日記メモいずれにも無し。
なのでここに改めて記すが、「ペースを落とす」という調節の原理は、2015年に発端する上で、その意思は検索エンジンに関連した思考を根幹として、そこから色々と窺うような案が派生している。
また、種々多々ある話題を本家ブログに無秩序的に投入して、横野真史のパーソナリティに基づいた記事の調和性が乱されるのもいけないと思うから、パーソナリティすなわち私情のネタがメインであるよう集積を図っているし、そちらの話題はメモ帳や、記事ボリュームに欠けば日記メモの形でGoogle+のスペースを借りる。
その日記メモ下では、今月の投稿頻度が振るっており、ついては毎月始反映のメモ帳まとめ記事を待たれたい。
こうして2015年の、アクセス数漸減を続ける(今月はV字回復傾向)異常なブログ情勢の中で、私も呼応した変容を続けていると示す。


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自己紹介
横野真史

横野真史 (アイコンの変遷)
出生:埼玉県浦和市、居住:愛知県豊橋市→東京都K市→杉並区。
人生5度目の不登校を経て2012年4月に中学卒業後、無職となった。
横野真史、これは本名ではなく命名由来も適当で普通すぎるネーミングか?
非営利の音楽制作(2011-)と絵の練習(2013/09-)をし、仏教(2014-)・日中印欧の諸古典言語を研鑽した後、人文科学(2018-)から総合的に科学研究をしている。
文章や映像・音声での、精緻な日記家庭内福祉の報告をしている。
興味がございましたらば、是非、当ブログと学術的メモ帳両方とも御観覧(御足労)をお願い申し上げます☆

このブログについて

動画製作や音楽制作、自分の日常生活を綴ったブログです。 ※2015年以降、「日記メモ」に日記の要素を集約しています。
たまに世間の出来事にも口出しをしています。

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